『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』現代っ子通過儀礼
"A boy becomes man." 少年が大人になる。この慣用句と類似する言葉は、『スパイダーマン:ファー・フローム・ホーム』中、そしてジェイク・ジレンホールのインタビューで発せられている。“親愛なる隣人”にふりかかる困難と通過儀礼……『スパイダーマン』シリーズお約束の成長劇がまたもややってきた。えらく複雑に、現実社会の私たちに隣接するかたちで。
【以下ネタバレ】
『ナイトクローラー』よろしくミステリオは嘘つきだったわけだが、その伏線は「情報への不信」というかたちで撒かれていた。たとえば、MJは「ニュースが真実を伝えると思ってるのか」みたいなことを言う。プラハ編では、このセリフを反復するかたちで、ピーターが「ニュースが言ってるんだから間違いない!」と彼女に言い放つ。ここは笑いどころなわけだが、ギャグの前提には「ニュース番組の報道がすべて真実ではない」認識があるわけで、かなり2019年的センスだ。フェイクニュース問題が騒ぎに騒がれた2010年代を経た我々は、情報への疑念を当然とする環境にある。MCUヒーローそのものの虚構性を打ち出すようなヴィランの存在はもちろん、ご丁寧にジョージ・オーウェル『1984年』やスマートフォンVPNの話まで出てくるあたり、報道媒体や国家機関ふくめて「情報への不信」描写が周到に張り巡らされている。
そもそもこの映画、フェイクニュースで始まってフェイクニュースで終わっているかもしれない。開幕、高校生が作ったアベンジャーズ追悼ムービーにはキャプテン・アメリカも含まれているが、スティーブ・ロジャースは少なくともあの姿で死んではいない。エンドロール後に展開されるスパイダーマン糾弾特報も勿論のことデマ。状況も立場も影響も全く異りつつ、これら両とも、発信者は受け取った情報を「真実」だと捉えて流した可能性が高い。その勘違いを責めるべきだろうか? 我々の多くは上映中ずっと、ニック・フューリーとマリア・ヒルを本人だと捉えていたのに?
前作『ホームカミング』は、トランプ支持者イメージのヴィランを丁度良いタイミングで描いたわけだが、『ファー・フロム・ホーム』もその点はバッチリだ。今はちょうどディープフェイク問題が過熱している。2019年のインターネットには、オバマ元大統領の罵詈雑言スピーチからK-POPスターのポルノまで、偽物とは思えない高度なフェイク映像が氾濫……というか、ディープフェイクの例としては、エンドロール後のリーク映像こそ最たるものになっている。まるで本物、マスメディアが信じても仕方のないクオリティ。我々はすでに、ミステリオ劇場の延長線に住んでいるのだ。
ディープフェイクによってプライバシーを暴かれたピーター・パーカーは、今後さらにつらい目に遭うだろう。それを通過儀礼と呼ぶには酷だが、現実の子どもたちにしても、あぁした脅威と隣り合わせの青春を過ごしている。奇しくもゼンデイヤが主演した『Euporia』でも描かれたように、自分のポルノ画像が拡散されるリスクにまで晒されているのだから*1。ゆえに、ミステリオの「君は信じすぎだ」という指摘と罠は、若き観客たちの成長をうながす言葉でもある。「無闇にものを信じてはいけない」、大人から若者へ代々言い継がれてきた教えは、ここ10年で一気に重みを変えてしまった。今回、ピーター・パーカーは「人を信じて」被害を負い「簡単に人を信じないこと」を学んで大人になる。同時に、秘密を共有する仲間との信頼も深めていくのだから、やっぱり王道の青春譚なわけだが。
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