貧困が生んだシリアル・キラー 映画『モンスター』に見る文化資本
「ジャンク・フードより自炊の方が結果的に安くつく」
「お金が無くても新聞売りや奨学金を用いれば進学が出来る」
…なのに、貧困層の人々は何故そのような「選択」をしないのか?それはその人間が、怠惰だからだ。…
このような声はよく挙がるが、そもそもその「選択の存在」を「知っていること」は、金銭と教育で育まれた文化資本である。人生において金銭・教育・文化資本を施されなかった人間はそれらの「選択の存在」自体を知らない。
- 「客体化された形態の文化資本」(絵画、ピアノなどの楽器、本、骨董品、蔵書等、客体化した形で存在する文化的財)
- 「制度化された形態の文化資本」(学歴、各種「教育資格」、免状など、制度が保証した形態の文化資本)
- 「身体化された形態の文化資本」(ハビトゥス; 慣習行動を生み出す諸性向、言語の使い方、振る舞い方、センス、美的性向など)
(例)本に囲まれた家庭の子どもは自ずと本好きになる。/文化資本が豊富であればあるほど、学校教育と親和的で、学業達成率が高くなる。
連続殺人鬼である『モンスター』の主人公は、まっとうな「文化資本」を施されなかったホワイト・トラッシュだ。劇中ではそのことが嫌と言うほど提示され る。シャーリーズ・セロン演じるアイリーンは「秘書の仕事に必要なスキル」を知らない身で面接に挑み、面接官に「お前のように怠けた人間が一生懸命勉強し た者と同じ職に就けると思うか?」と嘲笑される。自らの殺人について「これが私の生きる方法、私は善良な人間」と本気で恋人に説き始める。彼女の文化資本 不足は恋人(クリスティーナ・リッチ)の親族を比較すると明瞭。
- 恋人の親族&世間大半にとっての主人公→「多くの選択肢の中から殺人をとった鬼畜」
- 文化資本不足である主人公にとっての主人公→「生き延びる為のたった一つの方法をとった人間」
この認識の齟齬、それこそが文化資本の差。生きる方法、金銭を得る方法のバリエーションをきちんと知っていれば、主人公は連続殺人鬼にならなかった可能性が大きい。くだけた物言いをすると彼女は著しく知識不足であったし、そのことは悲惨な家庭環境に由来する。
・・・と言うわけで、後味が悪すぎるこの映画、「文化資本の教科書」として見ると一応スッキリできる。本作のアイリーンが連続殺人犯になってしまった原因は【文化資本が過剰不足だったこと/恋人の心が幼すぎたこと/男性性へのトラウマ】だと思う。ついでに本作のアイリーンは「セクシー芸能人」を夢見ている。その彼女を演じるのは、この頃はセクシーハリウッド女優だったシャーリーズ・セロン。「性を売りにする女性」ピラミッドの頂点と底辺だ。