『アリー/スター誕生』セカイ系恋愛の主役は誰?

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 *映画『アリー/スター誕生』寄稿一覧

『アリー/ スター誕生』米大絶賛の理由 2018年的刷新とレディー・ガガに重なる物語がポイント?|Real Sound|リアルサウンド 映画部

レディー・ガガ主演『アリー/ スター誕生』は「ポップ蔑視」なのか? - コラム : CINRA.NET

幅広い年代向けの「音楽観」?

 Real Soundにも書いたんですが、2010年代要素がほぼ無い音楽産業ムービーです。SNSとストリーミング、HIPHOPの台頭、オーディションTV番組等々、21世紀ポピュラー音楽界の“普通”はほぼ見られず、バーブラ・ストライサンド版の1970年代が舞台と仮定しても通るレベル。唯一のテック要素と言えるYoutube拡散シーンにしても、アリーの父親が「エンゲージメントって何?」みたいな会話する説明演出。雑に言うと、『アリー/スター誕生』はSpotifyYoutubeに慣れ親しんでいないお年寄りも安心して見られる設計が完備されてる高齢層フレンドリー映画なのです。中盤以降の「ポップスター」像にしてもゼロ年代前半みたいなファッション・スタイルで、それこそ「ガガ以前」時空な趣でしたが、あれくらいがマスにわかりやすいポップ観なのかもしれません。CINRAで紹介したポップ蔑視疑惑論争は、この「ポップスター像の古さ&ダサさ」も一因な気がするのですが、こうした「10年前感」だからこその国民的大ヒット?  グラミー賞のところとか「似合ってない服を着てるレディー・ガガ」を見られるレアリティが発生してた記憶が……。 

スターのセカイ系恋愛

 物語はかなり (2人の) セカイ系恋愛。男性ロックスターがツアーで恋人をゴリ押しし続けるなどメディアでもSNSでもゴシップの標的にされそうですが、そうした「評判」は描かれず。ただただアリーとジャクソンの閉じた関係性だけが描かれ、SNS社会のセレブリティだというのに「評判」を気にする素振りなし!  アリーの方は新人ポップスターなんだから特に大事なものでは!?  しかしながら、この「評判の無さ」が最後に降りかかるホラー&パワー展開が投下されるのです。映画ラスト、メンタルイルネスなジャクソンは「自分のせいでアリーは散々」という「評判」を知らされて自死を決め込む。今まで全然出てこなかった「ゴシップ的な評判」が最後の最後になって突然登場、しかもそれが主人公の死の原因となるデウス・エクス・マキナだった衝撃……。さらに言えば、ジャクソンの死という悲劇をもたらしたこの「評判」ってスター特有のものですよね。スター妻の晴れの舞台でスター夫が失禁したからこその、妻側のキャリアを滅茶苦茶にする「悪評」。きちんと「スター同士“だからこその”悲劇」になってるところがお見事。現実のアメリカではカニエ・ウェストテイラー・スウィフトの受賞スピーチに乱入したりしているので、ジャクソンの失態程度じゃ妻のキャリア崩壊に繋がらないと思いますが……。そういうところや映画終盤の急ピッチ進行も含め「短期思考に呑み込まれて自死を選択してしまうメンタルイルネス」描写として魔の迫力を感じたりもしました。

最初から死にそうな人のノンストップ悲劇

 そもそもこの映画、開幕から首吊り縄のビルボードが映されたりしていて、全般にわたり死の匂いが充満してるんですね。ジャクソンは重度のアルコール&ドラッグ中毒で、心傷の源には父親関連のPTSDがある、いわば最初から死にそうな人間。死を前にした状態でアリーに出逢って幸福を手に入れるわけですが、それでも結局自殺してしまう。運命の人に出逢ってから死に向かうのではなく、最初から死に向かい続けるノンストップ悲劇なわけです。もちろん、アリーがいたからこそジャクソンは幸せを手にしました。『アリー/スター誕生』は「首を吊っても気づいてもらえない家庭」で育った人間が「首吊り自殺をしたあと巨大な追悼イベントで愛する人に歌ってもらえる人生」を得た物語なんじゃないでしょうか。 酷い言い方するとジャクソンは結局子どもの頃と同じく縄に首をかけたわけですが、その時との“違い”には間違いなく価値がある、とするのがこの映画の流儀(つまりは愛)。

主人公は誰なのさ問題とガガイズム

 レディー・ガガによるとこの映画は「共依存」の話で、ジャクソンのみならずアリーもうつ傾向の人らしいのですが、そうしたメンタルヘルス観が劇中で明瞭であるところが彼女主演作らしい(「あなたのせいじゃない、病気のせいだ」という台詞や、アリーの出番を犠牲にするまでのジャクソンの生育歴描写)。「隣人の喪失までも創作にしてみせる」本作の本懐にしても、Real Soundで触れたように、表現者レディー・ガガと重なるところであります。ドキュメンタリー『Five Foot Two』では早くに亡くなった叔母への共振が呈されてたりもしていますね。ジャクソンに較べてアリーのキャラ描写は不足してたと思いますが、そのぶんガガが歌唱表現で自らの存在感をペイバックしてする……この "ステージ魂" ぷりこそガガイズムな気もします。アリーよりもジャクソンが主人公的、だからこそ非常にレディー・ガガ的な映画であるという。彼女のモットーとしてよく引用されるこの言葉を久々に思い出しました。  

 

"My whole life is a performance,"

「私の人生すべてがパフォーマンスだ」

 

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