『信仰が人を殺すとき』アメリカの一夫多妻制の町と神聖な殺人

信仰が人を殺すとき 上 (河出文庫)

  ジョン・クラカワーによるノンフィクション書籍。1984年にアメリカで起こった、一夫多妻制を「神聖な教義」とするモルモン原理主義者による殺人事件。犯人は動機を「神の啓示」だと語った。殺人を神聖な行為として語る男の裁判は、いつしか「信仰」をめぐる大きな論題に向かっていった……。まず、モルモン原理主義コミュニティであるアメリカの一夫多妻制の町の紹介から始める。 

【目次】

アメリカの一夫多妻制の町

 アメリカに一夫多妻制の町があることをご存知だろうか? それはアリゾナ州コロラドシティ、多妻結婚を神聖な教義だと信じるモルモン教原理主義者たちの自治市だ。多くの子供を産むことが女性の務めとされるこの町において、10人以上もの子供を産む女性も珍しくない。有名なモルモン原理主義教団FLDSがある町の2010年の年齢中央値は14歳足らず。つまり、住民の半数が14歳未満となる(米国平均は36.6歳)*1。元信徒の脱走者たちは、コロラドシティで児童レイプ、女性虐待が横行していたと告発している。少女が強制的に年長男性との結婚を命じられる文化があるのだという。町の指導者ルーロン・ジェフズの妻は推定75人、子どもの数は少なくとも65人。彼は80代のときに14歳または15歳の少女と結婚したとされている。

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  コロラドシティの多妻家族は、夫と籍を入れていない2人目以降の妻たちがシングルマザーとして生活保護等の公的補助を受給し生活している。この自治市は、近辺地域とくらべ人口密度も出生率も公的扶助受給額もかなり高い。強固な家父長思想で女性差別的とされるモルモン原理主義は、人種差別的でもある。黒人は悪魔の側に堕ちた「人間以下」の存在であり、黒人との性交は禁止される。そもそも、白人だらけのコロラドシティで育った人々の多くは、黒人を見たことが無いのだという。この町で「永遠の命を持つ」とされる指導者ルーロンの権力は絶対的だ。信徒たちに服従を命じており、「外界」のTVや雑誌を禁じている。ルーロンが「市内に犬を入れてはならない」と指示した際、住人たちは自分達のペットの犬を一頭残らず銃殺した。ーーさて、彼らは狂っているのだろうか?

神聖な殺人

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 (左図:加害者のラファティ兄弟、右図:被害者のラファティ一家)

「判事になって一二年になりますが、ブレンダとエリカ・ラファティ殺害事件のような、残酷で、凶悪で、無意味な、ばかげた裁判を担当したことは一度もありません。しかも、これほど良心の呵責を感じてもいなければ、悪いとさえ思っていない被告人は見たことがない」ラファティ殺害事件を担当した判事の言葉) 

 引用元:信仰が人を殺すとき 上 (河出文庫)

 1984年、モルモン教原理主義信仰者が殺人事件を起こした。加害者はラファティ家の兄弟のロンとダン。被害者はラファティ兄弟の末弟の妻子であった。ロンとダンは、24歳の義妹と赤ん坊を殺したことを「神からの啓示」だと語った。ロンとダン、そして被害者の夫アレンは全員モルモン原理主義に傾倒していた。妻のブレンダは夫アレンと義兄ロンおよびダンが信奉する多妻結婚に反対していた。ロンとダンにとって、多妻結婚は神聖な教義であった。ブレンダはそれをけなし邪魔した。つまり、ブレンダは「神の教え」を阻む邪悪な存在であった。ロンは「邪悪なブレンダを“除去”せよ」と告げる「神の声」を聞いた。だから兄弟は彼女を殺した*2ロンとダンにとって、殺人は「神の啓示」にもとづいた「神聖な行為」だったのである。ーーさて、彼らは狂っているのだろうか?

「神の啓示」は「精神異常」か?

 『信仰が人を殺すとき』は『荒野へ 』『ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』著者ジョン・クラカワーによるノンフィクションである。「モルモン原理主義の兄弟による殺人事件」、「モルモン教の歴史」、「モルモン原理主義コミュニティ」、以上3点を並行して追う大著となっている。本書の調査対象はモルモン教会とモルモン原理主義だが、最終的に提示される命題はさらに巨大だ。モルモン原理主義信徒の殺人犯・ラファティ兄弟の裁判を通し、ある1つの論題が浮かんでくるのであるーー果たして「信仰」とは「狂気」なのだろうか?

 前述したラファティ兄弟は「神の啓示によって」、いわば「神聖な行為」、「善行として」殺人を犯した。そう主張する2人の裁判は一つの論題を抱える。弁護側は「彼らは過激信仰に取り憑かれた精神障害だった」と主張し、減刑を得ようとする。対する検察側は「彼らの過激信仰は精神障害ではない」と反論する。このようにして、ラファティ兄弟の裁判の矛先は「信仰という行為」そのものへと向かっていったのである。ーー果たして、「神の声を聞くこと」は「精神異常」なのだろうか? この問こそが『信仰が人を殺すとき』が突きつける命題だ。「神の啓示」を受け取って殺人を犯したラファティ兄弟を「精神異常」だとするなら、「信仰」そのものを「精神異常」と呈することになりかねないのではないか? クラカワーの冷静な筆致は、多くの人が持つ「信仰」という行為そのものへの「疑念」を突きつけるのである。

信仰にのめり込んでいる人間を動かしているのは、傍目には、一方で富や名声や永遠の救済といった大きな救済を期待してのことと見えるかもしれないが、おそらく、実際に本人が手にするのは、強迫観念そのものだろう。ピアノや山登りにとりつかれた人々と同様、過激な信仰者にとっても、それが実情なのである。彼(あるいは彼女)はそれに打ち込みすぎるあまり、目的のためだけに生きることになる。過激な信仰者の世界観からは、曖昧さは消えてなくなるのだ。懐疑は、自己過信のナルシスティックな意識にすべて取ってかわられる。非常に気持ちのいい熱狂に、感情はなおのこと昇揚していく。彼をそうした気持ちにさせるのは、つまらぬ人間たちの罪深さと至らなさであり、どこを眺めても、その人間たちは世界を汚しつづけているのである。彼のものの見方は狭くなり、ついには、わずかに残っていた客観的な視点もその生き方から切りすてられる。極端な生き方をすることで、当の本人はなにか歓喜にも似たものを感じるのだ。

  引用元:信仰が人を殺すとき 上 (河出文庫) 

感想と補足

  モルモン原理主義者たちによる児童性的虐待、強制結婚。これらが本当だとしたら、コロラドシティは「アメリカの正義」に反する町、と言えるだろう*3。そんなコミュニティを追った『信仰が人を殺すとき』だが、最後は「アメリカの正義」に反する町を“子供の育成に良い”と語る者が発した、非常に「アメリカの正義」的な一言で幕を閉じる。皮肉さすら感じさせない、爽快なまでのラストだ。

 作者のあとがきで引用されたアニー・ディラードの文章を載せて終わる。

かつて、英雄的な時代はなかったし、かつて、汚れのない世代もなかった。ここには、われわれ臆病者のほかは、誰もいない。つねにそうだったのだ。あくせくし、力に満ちあふれ、洞察力があり、相反する感情をもち、莫大で、びくびくしていて、自意識過剰なのが、人間なのである。人間ははかりごとを巡らし、誤魔化しをし、欺き、征服する。そして、最愛の人のために祈り、苦しみから逃れたい、死を飛びこえたいと真剣に願っている。はるか昔、純朴な人々は個人的に神を知っていたし、そればかりか、無欲さとか、勇気とか、文学さえ知っていた。しかし、われわれにとって、それはあまりにも時代遅れだというのは、衰弱した色あせた考え方である。いま以上に、神聖な時代もなかったし、神聖でない時代もなかったのである。 (『差し当たり』アニー・ディラード)

 引用元:信仰が人を殺すとき 下

 数点補足。モルモン教会として知られる末日聖徒イエス・キリスト教会は現在一夫多妻制を推奨していない。多妻結婚を神聖な教義として実践する原理主義者たちは破門の対象である。本稿で紹介したコロラドシティの原理主義コミュニティは教団FLDSと呼ばれる。殺人を犯したラファティ兄弟はFLDS育ちではない。長男のロンはモルモン教会で有望な宣教師だったが、弟たちの影響で原理主義に傾倒した。さらに、ロンとダンが所属していた原理主義スクールの人々は、兄弟が訴える「殺人のお告げ」には同調しなかった。その為、ロンとダンはこのスクールを辞めた。モルモン教会とモルモン原理主義、モルモン原理主義ラファティ兄弟、それぞれ同一視しないほうが良いだろう。ただし、クラカワーは、モルモン教には暴力を引き起こしやすい特性があると指摘している(その特性に当たる「血の贖罪」「神の啓示」等が、本稿で紹介できなかった作中の「モルモン教の歴史」紹介箇所で提示されている)。 又、信仰が人を殺すとき』刊行から8年経った2010年に、ナショナルジオグラフィックが教団FLDSをクラカワーとは異なる視点で紹介している。

参考資料

信仰が人を殺すとき 上 (河出文庫)

信仰が人を殺すとき 上 (河出文庫)

 
信仰が人を殺すとき 下 (河出文庫)

信仰が人を殺すとき 下 (河出文庫)

 

特集:一夫多妻を守る教団 FLDS 2010年2月号 ナショナルジオグラフィック NATIzONAL GEOGRAPHIC.JP

画像引用元 Prophet's Prey | Official Trailer | SHOWTIME Documentary - YouTube

*1:via 特集:一夫多妻を守る教団 FLDS 2010年2月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP

*2:オムツをつけているブレンダの娘も「いずれ母親のような女になるから」という理由で殺害

*3:実際、本書では「信仰の自由の権利」を誇っていたアメリカ合衆国が「新興宗教の躍進」によってその誇りを揺らがせていった歴史が紹介されている。クラカワー本人も「アメリカの正義(的なもの)」を考慮している作家にうつる