『ザ・マスター』ミイラ取りがミイラに、信者が教祖に
「観終わったあと、ただ楽しかった、笑えた、泣けたなどと一言で終わらせられる映画は劇場で見る価値が無い」この言葉を是とするのならば、この上なく高尚な作品。
新興宗教サイエントロジーがモデルの本作。その開祖のロナルド・ハバードにあたるのは、フィリップ・シーモア・ホフマンではなく主人公なのではないか?
1.サイエントロジー開祖の人物像≒主人公
以下はロナルド・ハバードの人物像。
- 第2次世界大戦の間、海軍訓練学校の4ヶ月コースに参加
- 「金、セックス、大酒、ドラッグしか興味が無かった」と父親に言われている
- 暴力癖があった
ホフマンよりも主人公と重なる。逮捕~留置所シーンでは「主人公は感情的に暴力をふるってしまう/ホフマンは緊急時でも言葉で理性的に対応する」対比が描 かれていた。ロナルド・ハバードの「宗教的技術」を行うのがホフマンであるが、むしろハバードの「人柄」は主人公が演じているのである。「宗教的技術」は 真似られるものなので、むしろハバードにより近いのは主人公なのではないか?では、ホフマンはなんなのか?
2.ホフマンは一宗教家
ホフマンも、サイエントロジーに似た手法を使う宗教家である。彼は「妻に尻にひかれている一人の宗教家」で、その技術をサイエントロジーの始祖である主人 公に盗まれたのではないか。洗面台での夫婦のシーンは「エイミー・アダムスが裏で主導権を握っていること」を示唆している。ラストの主人公との対面も、妻 に尻にひかれていると考えると納得がいく。ホフマンは、最初はいつも通り主人公を洗脳したが、いつの間にか自分が入れ込んでしまった。だから彼の居場所を 調べ、ロンドンに招致する。しかし妻が彼を拒否した為に「残れ」と強く出れなくなった。また、同業者として「主人公の教祖としての才能」を嗅ぎつけていた から、洗脳し続け自分の下に留めておきたかったのかも知れない。
3.大宗教家の誕生
ホフマンと離れた主人公は、出会った女性にホフマンの洗脳技を用いてみせる。そのあと彼が(ホフマンの技術を真似て)様々な人を洗脳し、教祖となり、今尚語り継がれているサイエントロジーの始祖となった…。人間誰もが、誰かのマスターであり誰かの従者なのだ。しかしながら、主人公にはマスターがいない。彼は寄り添える人を作れなかったのだ。ホフマンの「君は世界で最初のマスターが不要な人間かもしれない」という言葉は、マスターを生業とする者としての賛美であり、従者として幸福を得る者としての哀れみだったのではないか。