『マザー!』聖書メタファー解説/男女論ではなく社会派映画?

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 非難を呼んだ話題の問題作『マザー!』。ショッキングな暴力描写が展開される作は、アメリカの映画館出口調査CinemaScoreで5年ぶりのF評価を下された。どんな話かというと「夫婦の家にやってきた不審な来客を夫が招き入れつづけ妻が困惑する話」としか説明ができない。男女の物語と考えると不快な印象を与えてくるが、本作はキリスト教の聖書をベースにした宗教暗喩の寓話だ。しかし、この作品を掘り下げると、単なる「宗教寓話」ではない。ダーレン・アロノフスキー監督の最終的な目標は「ある社会問題の提議」なのだ。張り巡らされた聖書のメタファーを紹介したのち、監督の発言を引用し“真の目的”に迫る。

【以下、完全ネタバレ】 

1.旧約聖書パート

 マザー!』では、夫が「神」であり妻が「地球」だ。この設定は主演のジェニファー・ローレンスが認めている*1。夫婦は田舎の一軒家で平和に暮らしている。夫は詩人であり、妻は家の修繕と家事をしている。そんな平穏もつかの間、夫が突然の来客エド・ハリスを招き入れる。彼は詩人である夫の大ファンなのだという。翌日には彼の妻であるミシェル・ファイファーまで家にあがりこむ。この「最初の来客」ハリスとファイファーが「最初の人類」アダムとイブである。

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 旧約聖書の創世記において、神は最初に大地を創造した。そこから1週間かけて自然や天候を創っていき、6日目に創られたのが人間の男性である。この順序は『マザー!』においても同じ。映画では最初にバルデムが登場し、その直後ローレンスの姿がうつる。2人の平穏な生活が描かれたあと、来客として「最初の人類」ハリスが「神」に招かれるのである。最初の来客がやってきた日、ローレンスは「夫の隣で具合を悪化させるハリス」を目撃する。そしてハリスの肋骨部分に傷があることに気づく。翌日、彼の妻であるファイファーが登場。これは、創世記における「神がアダムの肋骨を抜き取りイブを創ったエピソード」暗喩だろう。そして、ハリスとファイファーはバルデムが「決して触れてはいけない」と命じた書斎の水晶石を壊す。そしてハビエルから追放を言い渡された。これもそのまま創世記のエピソードをなぞっている。ハビエルの書斎は「神のエデンの園」であり、そこにある水晶石は「禁断の知恵の実」というわけだ(追放された直後のファイファーは緑色の下着姿。これは「知恵の実で羞恥心を得て裸体を葉で隠した一説」暗喩?)。

 ハリスとファイファーが楽園追放を言い渡されたあと、息つく暇も無いまま新たな来客が侵入する。彼らはハリスのファイファーの息子たち。この兄弟が創世記第4章に登場するアダムとイブの息子「カインとアベル」である。旧約聖書において、神に貢ぎ物を無視された兄カインは弟アベルに嫉妬を燃やし殺害。神にアベルの行方を問われたアベルは嘘をつく。そしてカインは追放されるかたちで流刑地のような所へ送られる。『マザー!』の兄弟の殺人事件そのままだ。遺産問題で弟への嫉妬し怒り狂った兄は「神」の静止も訊かないまま弟を殺害し、さらには「自分のせいではない」と主張し「家」から去っていく。

 夫が招き入れる来客たちはみな酷い性格なのだが、なぜか夫は彼らをサポートし、新たに招き入れる。そして、殺人事件が起こった夫婦の家でアダムとイブが葬式パーティーを始める。またもや夫が客を招き入れたのである。今回の来客は大量で、しかも相当に酷い。人の家で性行為を始めようとする。家を勝手に模様替えする。男も女もローレンスを侮辱する(出エジプト記十戒を意識した行動群?)。来客に献身的な夫とは反対に妻は激怒。しかし、その怒りも虚しく、勝手な来客たちによって水道が破壊され家は水浸しになる。この事件が起こったことにより、客たちはついに追い出された。この水道事件は、アロノフスキーがかつて映画化した創世記6章「ノアの方舟」だろう。地上に増えた人々の堕落を見た神は、大洪水で人類を滅亡させた。その記述どおり、洪水が起こった夫婦の「家」から人間たちは消え、神と地球は平穏なときを迎える。もちろん、旧約聖書の次には新約があるように『マザー!』も波乱の第2部を迎えるのだが。

2.新約聖書パート

 実質的に人類を滅亡させた洪水事件で夫婦は喧嘩を始め、セックスを始める。そして速攻の妊娠! 新たな生命の誕生に喜んだ2人は平穏な愛の時間を過ごす。詩人である夫はスランプを脱出し、新作を書き始める。妻は昨夜の洪水で大変なことになった部屋の掃除に取り掛かる。そのとき、彼女はこう言う。

「私は“黙示録”の後始末をするわ」

 黙示録とは新約聖書のラストを飾る書。つまり、ここからが『マザー!』の新約聖書パートだ。もちろん、「神」バルデムと「地球」ローレンスのあいだに誕生した息子とは「神の子」イエス・キリストだろう。

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 新作をヒットさせた夫は、またもや家に来客を迎え入れる。今回の来客も「彼のファン」だ。つまり「神」の「信者」と言える。「地球」である妻は「私と子供だけでは足りないのか」と訴えるが、「神」である夫は聞き入れようとしない。今回の来客たち──信者たちは相当に厄介だ。盗みは働くし、銃器で戦争は始めるし、独自のルールで処刑を始めるし、出来上がった信仰団体はどんどん過激になってゆく。おそらく、後半の「来客たち」は「現代の人類」に近い存在だ。リンチや争いが巻き起こる暴力的な環境のなか、妻は出産する。彼女は夫に子を抱かせず「来客たちを追い払ってくれ」と懇願する。しかし夫はそれを聞かず、挙げ句の果てには2人の赤ん坊を暴徒化した来客たちに明け渡す。そして夫婦の子は狂信者たちに殺され、食われる。バルデムとローレンスの息子は、この世に降臨した「神の子」イエス・キリストが人類の罪を背負い磔にされたように「人間の糧」となって死んだのだ。

 憤怒した妻は信者たちを殺そうとするが、結局は反撃された挙句「売女」と罵られた。そこで妻は家に火を放とうとする。夫は「俺を置いてかないでくれ、また創り直そう」と懇願するが、ライターは床に落とされ、家は炎上。来客たちは死んだが、結果的に妻も死ぬ。「母なる地球」の怒りにより「父なる神」が創りし「人類」は滅び、そして「母なる地球」も滅びたのであった。

3.『マザー!』の円環構造

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 映画『マザー!』はここで終わりではない。実は終わりと始まりと繋がっているような円環構造なのだ。終盤、ハビエル・バルデムは、火傷を負ったジェニファー・ローレンスから心臓から「水晶石」を取り出す。そしてまた「新たな妻」を得る。この「新たな妻」が起き上がるラストシーンはローレンスの初登場シーンと全く同じ。映画の序盤に戻ろう。ローレンスが登場するまでの、一番最初のシーンはこのようなものだ。

・『マザー!』の始まり

怒りながら燃え盛る女性→“mother!”のタイトル登場→水晶石を書斎に飾るハビエル→燃えた家の復活→ローレンスが創造される

 冒頭で燃えていた女性は「ハビエルの前の妻」だろう。ハビエルの歴代の妻たちは「地球」。つまり「ジェニファー・ローレンスより前の世界」も滅亡していたのだ。この円環構造は、おそらくこのようなことだと思われる。

・『マザー!』の円環構造

「神」は複数回「地球」と「人類」を創造している。しかし、最低でも2回は失敗している。「神」は自ら創造した人類の堕落を止められない。人類は「地球」を破壊してきた。それに怒った「地球」は自らを燃やし世界を破滅させる。残された「神」は「地球」を作るために必要な「力」を再利用し、新たな世界の創造を繰り返す

(神=夫、地球=妻、人類=来客たち、力=水晶石)

 『マザー!』は、キリスト教における「神と地球の関係」を「家の中の夫婦」に投影した作品だ。聖書は基本的に「神と人の物語」だと思われるが、この映画はそれを「地球の視点」からうつしている。ハビエル・バルデム演じる「神」は、その妻である「地球」から見ると大変に酷い存在だ。信者ばかりかまい、暴力に晒される妻をサポートしない夫なのだから。しかしながら、そんな彼は我々「人類」からすれば「とても慈悲深い神」となる*2「父なる神」バルデムは、いくら裏切られても人間を見捨てようとしないのだ。この視点によって変容するイメージはなかなか面白いと思うのだが、映画『マザー!』の目的は「聖書の暗喩」だけではない。その先には、監督の個人的とも言える訴えがある。

4.目的は「環境問題」提議:思想家としてのアロノフスキー

 『マザー!』では、怒った「地球」が火を放ち世界を全焼させる。これは地球温暖化を意味する。この「聖書」と「地球温暖化」をリンクさせる手法はアロノフスキー監督の前作『ノア約束の方舟』と共通している。実は、ハーバード大学を卒業した監督は、熱心な環境学者としての側面を持つ。キリスト教を下敷きにした『マザー!』でアロノフスキーが語りたかったことは、男女論や名声についてではなく、今なお続き悪化している「環境問題」についてだ。作品の意図を語ったインタビューを簡単に抄訳する。

 TIME『映画『マザー!』の意味:ダーレン・アロノフスキー監督インタビュー

“アナザーな家”を語るのは面白いと思った。それは貴方の家ではないし、私の家でもない。でも我々の家だ。(その家とは地球のこと?と訊かれ)我々全員の母。我々全員に命を授ける存在。「母なる自然」の視点を教える映画を作りたかった。母なる地球の愛と贈り物、そして人間がどれだけ彼女に痛みを与えているかを示す映画を。

いかにして「グローバルな事象」を「一人の人間のもの」として語るか考えていた。歴史上最大の森林火災を理解することは難しい。実際どんなことなのか考えるには抽象的すぎるんだ。我々はイメージは見るけど、それを吸収しない。だけど、家にやってきた来客がタバコの火でカーペットを燃やすことは、みんなが理解できるだろう?

 『マザー!』が公開されたとき、観客たちの間では「夫=アロノフスキー」説がささやかれた。アロノフスキーはかつて監督作の主演女優と結婚し離婚した。本作においても主演女優と交際をはじめ、映画が公開されたら破局した。アロノフスキーはバルデムの役と同じくクリエイターである。芸術という崇高な目的のためなら、男はパートナー女性をいくら虐げても良い……そんな「アーティスト無罪」を発している女性差別作品だと一部で受け止められたのだ。しかしながら、アロノフスキー自身がもっとも感情移入したキャラクタはローレンス演じる妻なのだという。これは彼の思想を考えれば納得することだ。おそらく、環境保全に熱心なアロノフスキーは地球温暖化を促進する人間たちに怒っている。実際「いかに人々が環境破壊をして地球を傷つけているか」表現したかった、と語っているのだから。

5.60年代映画の復権映画作家としてのアロノフスキー

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(『ローズマリーの赤ちゃん』オマージュである『マザー!』ポスター)

 社会活動家としてのアロノフスキーにとっての『マザー!』は「環境問題」提議だが、一方で映画作家としての目的もあったようだ。 彼は本作のアイディアを「ブニュエル式の寓話」だと語っている。今日のハリウッドにおいて異質なこの映画は、60年代まで活発であった「ドリームスケープ映画」を志している。以下、監督のインタビューを引用する。

IndieWire「『マザー!』ダーレン・アロノフスキーが全てを説明する

ドリームスケープは映画の素晴らしいエレメントの一つだ。60年代までは人気があったんだ。70年代に我々の英雄スコセッシとフリードキンがリアリズムを始めて、人々は夢から去った。ブニュエルポランスキーは放浪し、映画はリアル(現実)になっていった。そうして80年代のファンタジー時代と90年代のスーパーヒーロ時代に至ったんだ。そして今、とてもシンプルな英雄譚(heroics)の時代になった

  アロノフスキーが「ドリームスケープ映画の巨匠」として名前を挙げたルイス・ブニュエルロマン・ポランスキー。『マザー!』には、この2大監督による60年代作品のオマージュが張り巡らされている。顕著なのは以下3作、ブニュエル監督『皆殺しの天使(1962)』、ポランスキー監督『反撥(1965)』『ローズマリーの赤ちゃん(1968)』。ダーレン・アロノフスキーは、聖書をベースとした環境問題提議の寓話を作ると同時に、今日のハリウッドで希少となった「ドリームスケープ映画」を復活させようとした。そうして出来た作品が、この異色なハリウッド映画『マザー!』なのである。

補足:小ネタ集

なぜハリウッドスタジオでこの企画が通ったのか:主演が人気スターのジェニファー・ローレンスであることが大きかったとアロノフスキーが語っている。また、比較的に予算が安かった(Vulture)

インスピレーション:大きなインスピレーション元は絵本『おおきな木』なのだという。アロノフスキーにとって、この人気絵本は「男の子のために全てを諦めた木」の物語で、『マザー!』と同じ(Vanity Fair)

名声について:名声を1テーマにした作品と一部に受け止められたが、アロノフスキー自身は名声についてのアイデアは無かったと語っている(Time)。「名声」テーマ説の要因は、バルデムが詩人役で来客たちがファンとされた為だろうが、詩人を「キリスト教の神」だと捉えると彼に「崇拝者」がいることは自然

クリステン・ウィグについて:後半にサプライズ出演するクリステン・ウィグ。彼女は『SNL』でブレイクした人気コメディアンで、オスカー役者たちが意味不明な悪夢を演じる本作では“意外なキャスティング”だ。ウィグ出演の可能性を聞いたアロノフスキーは、観客の期待を裏切る役者の登場を面白いと考えたそう(Vanity Fair

カエルは何を意味するか:作中、唐突に家に出てくるカエル。ポスターにも描かれている。この両生類は、聖書において「(人の心に宿る)悪魔」のサインとされるようだ(Telegraph)。旧約聖書出エジプト記では神が災いとして大量のカエルを降らせる

黄色い粉について:作中ジェニファー・ローレンスが飲み続けた黄色い粉。これが最大の謎のようで、アロノフスキーは「正体は絶対に言わない、墓まで持っていく」とコメントしている(IndieWire)。個人的に浮かんだものは、安易だが避妊薬。作中の妻は途中まで「愛する夫に苦しみを与えられることを喜んでいる」設定(Time)。ゆえに、自らも「夫婦間の修羅場」を演出していたのでは、と。つまり、献身的と思われた「地球」は裏では「神」を欺き裏切っていた。または、あの夫婦が長らくSEXしていなかったことを考えると、避妊とは反対に妊娠しやすい薬?

【参考資料】 

マザー! (字幕版)

マザー! (字幕版)

 
小型聖書 - 新共同訳

小型聖書 - 新共同訳

 

Mother! explained: what does it all mean, and what on earth is that yellow potion?

Mother! Mastermind Darren Aronofsky Explains His Disturbing Fever Dream | Vanity Fair

Darren Aronofsky on Jennifer Lawrence in ‘Mother!’ – Variety 

‘mother!’: Darren Aronofsky Finally Explains It All to You | IndieWire

Mother Movie Meaning: Darren Aronofsky Interview | Time

All 19 Movies That Flunked CinemaScore With F Grade (Photos)

*1:Mother! explained: what does it all mean, and what on earth is that yellow potion?

*2:「人類」というか「キリスト教の信徒」に限定されそうだが……