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辰巳JUNKエリア

ニワカを極めるブログ

親愛なる我が総統/弱さとしての排外主義 〈劇団チョコレートケーキ2014.9.13〉

舞台

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ーー「私もまた一人の心を持つ人間であった。」

1.概要 

 『親愛なる我が総統』の舞台は、第二次世界大戦終結直後のポーランド裁判所。ナチスドイツのアウシュビッツ収容所初代所長ルドルフ・フェルディナント・ヘースを裁く為、尋問を行っている。ほぼ死刑は確定している状態だ。本作の舞台は「ポーランド政府の尋問室」「尋問室の外にある部屋」のみ。登場人物は4人。ヘース、心理分析官、ポーランドの検事、その部下。本記事はヘースと心理分析官に着目する。

  1. ヘース:アウシュビッツ収容所初代所長。毒ガスによる虐殺を考案し、膨大なユダヤ人を毒殺(当時の推定犠牲者数は250万人)。捕虜となった今は死刑を覚悟し、反抗的な態度を一切とらず、尋問に淡々と答える。「銃殺よりも毒殺が加害者も被害者も楽だと思った」「総統(ヒトラー)は我々ドイツ人にとって最高の世界観を授けたが、それは間違いであった」と語る。自らを「真面目だけが取り柄」と称す。「お前は人間ではない」と罵倒され続け、己が人であるのか煩悶するが、心理分析官と出会い「我々ナチスもまた人間です」と訴えるようになる。
  2. 心理分析官:恐らくはアメリカのグスタフ・ギルバードがモデル。ヘースに対し中立的。「ナチスは普通の人間だからこそ人類にとって脅威である/人類の未来の為に我々は業務以上の何かをすべき」と訴える。ヘースに信頼され、手記を託される。

2.ナチスもまた人間である(※以下ネタバレ)

  前半の主張は、後述する映画『ハンナ・アーレント』とよく似ている。アウシュビッツで多くのユダヤ人を虐殺したヘースは(本作に於いて)命令に従い思考を放棄した凡庸な人間である。心理分析官が言うように、「人間は道を間違えるとナチスのようになってしまう現実」が在るからこそ、ナチスドイツは「過去の特例」では済まされない人類の脅威なのである。

 さて、本舞台が恐ろしいのは、このあとだ。『ハンナ・アーレント』の提訴に1スパイスを加える。舞台終了の約10分前、心理分析官は「貴方は人間である」とヘースに告げる。そしてある問いかけを行う。

3.弱さとしての排外主義

「ヘースさん、貴方は悪魔ではなく、人間です。1つ聞きたいことがあります。貴方はずっとヒトラーのことを総統と呼んでいますね。貴方は、ユダヤ人を自分と同じ人間と思っていますか。」

  ここで初めてヘースが動揺する。以下、ヘースから始まる2人の会話。

「我々は確かに間違いを犯した。しかし、ドイツ人とユダヤ人が同等であるはずがありません。死を前にした奴らは、仲間を売ろうとしてまで延命を求めた。自分の妻の遺体すらも、大した動揺無く片付けた*1。私はひどく軽蔑したのです。」

「極限状態にある人間は誰しもそのような行動に出る。ユダヤ人でもドイツ人でも同じです。彼らをそのような状態に追い込んだのは貴方たちじゃないですか。」

「ドイツ人とユダヤ人を同列にするのはやめてください!…何故あなたは、死を迎える私に動揺を与えるのですか?」

「貴方は人間だ。それと同時に、ユダヤの人々も貴方と同じ人間だ。それを認めないとフェアじゃない」

「……もう一人にしてください」

 心理分析官は去る。尋問室で独りとなったヘースは、泣きじゃくり、床に転がり、発狂する。(舞台の照明により壁面に現れた)巨大な自分の影に怯え、狼狽し、最後は立ち上がる。顔に生気は無い。

「私は人間だ。私は人間だ。私は人間だ。…………ハイル・ヒトラー…」

 彼の敬礼により、舞台は幕を閉じる。

 見事だ。「上司の命令に従う真面目な一人間」は、大きな過ちを犯し、その過ちを認めた。「これからの世界は我々のような過ちが無ければ良いと思う」とまで話す。しかし、そんな彼でも「ユダヤ人への差別」だけは捨てられなかった。ヘースは立派なレイシストであり、排外主義者だ。

 何故か。ユダヤ人も自分と同じ人間であること」を認めてしまったら、「人間を250万人も虐殺した自身の罪」と向き合ってしまうからだ。「普通の人間」は、自分と同じ人間を250万人も毒殺した事実に耐え切れるだろうか?ほぼ不可能である。相当の強さを持っていない限り、罪悪感に押し潰され発狂するだろう。(本劇中の)ヘースは特段強くはない普通の人間である。だから彼は心理分析官の言葉に慌てふためいた。ナチス・ドイツは「人間」である、と訴えた男は、最後の最後、自分の中に「悪魔」を見る。

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 「ハイル・ヒトラー」という最終台詞は、人間の弱さだ。ヘースは、250万もの人間を殺害した罪から逃れる為、今は亡き彼の総統が授けた世界観(排外主義)に縋ったのである。「ユダヤは人間ではない」と囁いてくれるファシズムに浸ることで、「自分は殺戮者」という現実から逃げる。これを弱さと言わないで何と言おう。今日、日本でも排外主義は話題の種だ。大声で罵声を飛ばすレイシスト達に、良くも悪くも強さを感じる人も居るだろう。しかし、『親愛なる我が総統』において、排外主義とは弱さであった。

※本記事に記載した台詞は全てうろ覚えです。正確ではないです。すみません。

似ている本・映画

  現在日本で最も有名な排外主義団体の一つ・在特会を取材したノン・フィクション。在特会は「在日特権を許さない市民の会」の略称である。名の通り、在日韓国人及び韓国人を排外する団体。朝鮮高校の前で「朝鮮人は人間じゃない!」と叫び、コリアンタウンで暴行を繰り返す彼らの素顔に迫る。そこには、排外主義に縋る弱者たちの姿があった。ちなみに、『親愛なる我が総統』は韓国上演される。

ハンナ・アーレント [DVD]
 

  アウシュビッツに収容された経験を持つユダヤ系哲学者ハンナ・アーレントと、彼女の『悪の凡庸さ』論を取り上げた映画。「あるナチス戦犯は普通の人間である」と呈した彼女は、世間だけでなく、大学や専門家からも拒否反応的糾弾を受けた。

『悪の凡庸さ(陳腐さ)』:上からの命令に忠実に従うアイヒマンのような小役人が、思考を放棄し、官僚組織の歯車になってしまうことで、ホロコーストのような巨悪に加担してしまうということ。悪は狂信者や変質者によって生まれるものではなく、ごく普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人によって引き起こされてしまう事態を指している。 via 映画「ハンナ・アーレント」オフィシャルサイト「キーワード」

*1:アウシュビッツ収容所では、毒殺されたユダヤ人の遺体運搬を、収容したユダヤ人に行わさせた