村上春樹が語る国際人気の理由 / 真実が死んだ世界の『騎士団長殺し』
村上春樹がみずから語った「自作の国際人気の理由」を紹介する。彼は、国々の社会情勢がムラカミ作品の需要を作ったと語っている。又、インタビューから8年経った2017年に出版された『騎士団長殺し』がいかに国際社会、および人々の精神とつながっているかの所感も加えた。
【目次】
1.村上春樹が自ら語る国際人気の理由
村上春樹はなぜ国際的な人気があるのか? この問いについては様々な解答が存在すると思うが、実は村上春樹自身が見解を語ったことがある。2009年に刊行された『モンキービジネス』の誌上インタビューにおいて海外人気について触れているのだ。
村上春樹の見解では、村上作品の世界人気は国際社会情勢に要因がある。彼が海外で広く受け入れ始めたのは冷戦が完全に終結してから。既存の体制が崩壊し、世界の秩序は大きく揺らぎ、様々な要素が対立しだした。そんな不確実でカオスな世情に村上作品が呼応した。箇条書きのまとめを後述するがーー「リアリティの喪失」も大きなキーワードとなっている。日本や独露のみならず、アメリカの人々も「自分がいる世界」への「リアリティ」を失いつつある。この感覚は、村上春樹が多く描いてきたもののように思う。例えば、最新作『騎士団長殺し』の以下の台詞に象徴されるように。
我々の人生においては、現実と非現実との境目がうまくつかめなくなってしまうことが往々にしてある、ということです。その境目はどうやら常に行ったり来たりしているように見えます。
引用元:村上春樹『騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編』 p.305
以下、村上春樹が語った国際社会情勢と彼の人気にまつわる意見を端的にまとめた。
【村上春樹が語る国際人気の理由】
- 村上作品が外国で広く受け要られ始めたのは冷戦が完全に終わってから
- 冷戦の終結と原理主義の台頭、系統的な思想性の崩壊とリージョナリズムの勃発、グローバリズムと反グローバリズムの拮抗、メガ資本主義の登場と環境運動の盛り上がり、そういう至るところで生じる多面的なぶつかり合いみたいなものが、ある種の混沌とした場を作り出し、村上作品をある程度受け入れやすくしている土壌になっている
- きっちりとした体制の下では恐らく村上作品は受け要られていない
- 村上作品は9.11後のアメリカで若者中心に人気が上昇した
- アメリカは9.11で「現実世界へのリアリティ」への不信が大きくなった
- 少人数テロリストが世界を変えた9.11は奇跡的なまでに非現実的で、人々に「我々が生きる世界は本当の世界じゃないのではないか」という不安を与えた
- 9.11後にアメリカで若者中心に村上ファンが増えた一因は、人々が「リアリティの喪失」と向き合いそれを「自分のもの」として受け容れる雰囲気が全体に生まれてきた為
- ヨーロッパもアメリカと大体同じ
- 冷戦後、村上作品がアジア以外で最も売れていた国は冷戦によりベルリンの壁が壊されたドイツとソ連体制が崩壊したロシア
- 日本は「リアリティの喪失」が最も早かった崩壊先進国
- 日本は1995年にバブル崩壊、オウム事件、阪神・淡路大震災が起こり、模範みたいなものが急速に失われ旧来に代わる新しい価値体系が見つけられていない
- 日本が最もカオスを描きやすい文化の場かもしれない
以上はおおまかな概要であり、インタビュー中で村上春樹は断定口調はあまり使っていない*1。彼は、冷戦以後の2001年のアメリカ同時多発テロ事件を例に「リアリティの喪失」なる概念を説明している。少人数のテロリストによって破壊されたワールドトレードセンターを、奇跡的なまでにすぱっと決まってしまった「超非現実な光景」であったと回顧している。
ここ数年、アメリカに行ってそのたびに感じるのは、一種のリアリティというものが、この現実世界からどんどん希薄になっていきつつあるということですね。(中略)ニューヨークの真ん中で、人々の注視の中でああいう事件が起こり、何千人という人が現実に一度死んで、そのせいで世界の仕組みや流れががらりと変わってしまった。でもね、やっぱりみんな、9・11の事件が本当にああいう形で起こったということを、まだうまく呑み込めてはいない。つまり腹の底でその実感が達していない。そういう気がしてならないんです。それがあまりに唐突に、あまりに見事に起きてしまった。(中略)
ぼくが今のアメリカに行って、人々と話して感じるのは、われわれが生きている今の世界というのは、実は本当の世界ではないんじゃないかという、一種の喪失感ーー自分の立っている地面が前のように十分にソリッドではないんじゃないかという、リアリティの喪失なんですね。(中略)
もし9・11が起こっていなかったら、今あるものとは全く違う世界が進行しているはずですよね。おそらくはもう少しましな、正気な世界が。そしてほとんどの人によってはそちらの世界の方がずっと自然なんですよ。ところが現実には9・11が起こって、世界はこんなふうになってしまって、そこで僕らは実際にこうして生きているわけです。生きていかざるを得ないんです。言い換えれば、この今ある実際の世界の方が、架空の世界より、仮設の世界よりリアリティがないんですよ。言うならば、ぼくらは間違った世界の中で生きている。それはね、ぼくらの精神にとってすごいく大きい意味を持つことだと思う。
「現実と非現実の曖昧な境界」を描いてきた村上作品が、社会秩序の崩壊により「現実世界に対するリアリティ」を喪失した人々の需要に合致した。こうした提議は中々興味深い。村上春樹はこれを2009年刊行のインタビューで語ったわけだが、2017年現在、世界はさらに混沌を深めたーー又は、過去と地続きではあるが新しくもある別の混沌を発生させたように見える。では、春樹は2017年にどんな物語を提示したのだろう?
2.『騎士団長殺し』が伝える真実が死んだ現代の生き方
まず、今のアメリカの世情を語ろう。上記画像はTIME紙の1966年、2017年3月の表紙だ。66年の「神は死んだのか?」と問う有名なデザインを、今年度のバージョンとして「真実は死んだのか?」に置き換えている。これは、2016年アメリカ大統領選挙で話題になったフェイクニュース問題を示唆している。大統領選挙に影響をもたらしたと語られているフェイクニュース・メディアの一部は、マケドニア等の東欧の若者たちが金稼ぎの為に運営していると報じられた。又、IMTルッカ高等高等研究所はインターネットでデマや陰謀論の伝搬を研究したが、有用な対抗策は提示できなかった。このような状況を鑑みてTIME紙は、今の世界で「真実は死んだのか」問う特集を組んだのである。NweYork Timesは「The Truth Is Hard」と訴えるキャンペーンを打った*2。Wall Street Journalは自分たちは「Real News」だと名乗り上げた。 では、そもそもTIMEやNYTの言う「真実」とは何なのだろう? これらの有名メディアに対してバイアスを指摘する声だってある(人の表現である報道が人間の心理的バイアスを完全に排することなんてできるのだろうか?)。
村上春樹は、最新作『騎士団長殺し』において、「真実」に対する疑念、そして「真実」にまつわる考えを提示している。
何が正しいことなのか、何が正しくないことなのか、その判断が私にはもうつかなくなっていた。
引用元:村上春樹『騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編』 p.319
でもまったく正しいこととか、まったく正しくないことなんて、果たしてこの世に存在するものだろうか? 我々の生きているこの世界では、雨は三十パーセント降ったり、七十パーセント降ったりする。たぶん真実だって同じようなものだろう。三十パーセント真実であったり、七十パーセント真実であったりする。
引用元:村上春樹『騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編』 p.427,428
「純然たる真実」は否定されるのだ。そして、この絵描きの物語では、主人公の「リアリティ」が喪失する様が描かれ「現実の非確実性」が姿を現していく。『騎士団長殺し』はポストモダン・ファンタジーだと思うが、今日の主にアメリカ、ヨーロッパ諸国の現実に共鳴する精神性であると感じる。要素は他にもある。本作では「目に見えない大きなシステムによって自分の運命が決定されている感覚」が度々登場する。これは、既存政治や国際企業への不信を高めた人々にも共通するフィーリングではなかろうか*3。チャップマン大学の調査によると、2016年度『アメリカ人が恐れるものTOP10』の圧倒的な首位は、前年と同じ「政治の汚職」だった。
村上春樹の最新長編には「確かな真実」など無い。そして人々は「目に見えない巨大なシステム」の中で生きている。ひと一人に、その巨大で不条理な世界を変革する力は無い。ネガティブな類に入る世界観だと思うが、『騎士団長殺し』はラストで「そんな世界で前進する生き方のアイデア」を提示する。おそらく東日本大震災を意識していると考えられるが、政治的変動を迎えたアメリカやヨーロッパ、他諸国の人々にも光を射し込みえるテーマとメッセージがある*4。村上春樹の作品に関しては賛否両論があるだろう。私も(多くの表現や意見と同様)彼の作品や意見にすべて同意するわけではない。しかし、国際的なパワーを持つ作家であることは確かなように感じる。
心を捨て、意識を閉ざすのだ。しかし目を閉じてはならない。しっかりと見ているのだよ
引用元:村上春樹『騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編』p.322
どこまでも深い暗黒の中にあって、自分自身の五感をまともに把握することができなくなった。まるで肉体の情報と意識の情報とが繋がりを断たれてしまったみたいだった。それはとても奇妙な気分だった。自分がもはや自分ではなくなったような気がする。しかしそれでも私は前に進まなくてはならない。
引用元:村上春樹『騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編』 p.340
参考資料
モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号
- 作者: 柴田元幸
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*1:補足すると、日本を「崩壊先進国」と最初に例えたのはインタビュアーの古川日出男氏。村上春樹はそれに同意するかたちの応答をした
*2:キャンペーン動画では「真実を見つけることは難しい」と呈する。膨大な情報が流れる今、NYTは「安全な港」であるとする演出意図
*3:余談だが「大企業によって経済的困窮に陥り、政府の支援にも期待できず、貧困から抜け出せないアメリカ南部の人々」は映画『最後の追跡』でわかりやすく描かれている。2017年アカデミー賞作品賞ノミネート作品で、Netflix配信中
*4:【ネタバレ】作品ラストに東日本大震災が登場する。鴻巣友季子氏は『騎士団長殺し』での村上春樹の変化を「父親になりたがる男たちの登場」とした。3.11によって「絆」と呼ばれるような密な関係性への価値観が社会で色濃くなった影響が伺えるかもしれない 鴻巣友季子が村上春樹新作から読み解いた「親になりたがる男たち」 (1/3) 〈dot.〉|dot.ドット 朝日新聞出版