『パッセンジャー』の改変されたオリジナル版ラスト / 強姦神話としての眠り姫からアダムとイヴへ

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 映画『パッセンジャー』のラストは大きな論争を呼んだ。実は、この作品の脚本は多くのアカデミー作品賞&候補作を輩出したブラック・リストに入っていた。そして、その栄誉あるオリジナル脚本のエンディングは公開されたリリース版と大きく異なっていた。本稿ではオリジナル版エンドの概要を紹介し、個人的な考えを付け加える。

【目次】

1.『パッセンジャー』のオリジナル版エンド

 リリース版とオリジナル脚本の内容は8割方同じと言われている。大きく異るのはラスト、ガスが死んでからの展開。Slash Filmで紹介されたおおまかなオリジナル版プロット概要を紹介する。

【オリジナル版エンドの概要】

ガスの死後、ジムとオーロラは宇宙船スターライナーの再起動に成功するが、スターライナーが4,997人が眠る冬眠ポッドを宇宙空間に投機。それを止める為にジムたちは船のキャプテンを冬眠から起こすが、時既に遅し、キャプテンは自分の冬眠ポッドが宇宙空間に放り出される直前に目をあけるホラー展開

船の窓から宇宙空間に放り出される4,997人の冬眠ポッドを見たオーロラ「ジムに起こされていなかったら、今わたしは彼らと一緒にあそこにいる」

本当に宇宙に2人ぼっちとなったジムとオーロラは、互いに愛し合うことを誓う。ジムがオーロラを宇宙の散歩に連れて行ってこのカップルのシーンは終了

しかし話は終わらず、120年の航海を終えたスターライナーが新惑星に降り立り、扉がひらく。宇宙船からは様々な年齢の子供と、子供たちより数が少ない大人たちが出現

〜解説〜 映画の前半、オーロラは宇宙船内で遺伝子バンクを見つけていた。そこには乗客5,000人ぶんの冷凍された精子卵子があった。オーロラは「嬉しく思う。スターライナーが新惑星に着く頃には、この小さなカプセルが私が残した最後のものになるだろうから」と語っていた。おそらく、ジムとオーロラはこの遺伝子バンクから子供を創造することに成功したのである…… (2017年4月9日追記:リリース版で描かれた宇宙船内の医療機器は超高性能だったので、遺伝子バンクを搭載していたスターライナー号には人工授精をさせる装置もあったのかもしれない/それらの装置はガスに貰ったidで起動や管理が可能)

バーで野菜を剥くアーサー、そしてオーロラの書いた本が映されて終わり

 

 オリジナル版とリリース版の大きな違いはこの2つ。「冬眠している約5,000人の乗客が死ぬかどうか」「主人公2人が人工的に新惑星の子孫を作るアダムとイブ&ノアの方舟になるか」紹介は終わりだが、私はこのオリジナル版エンドに魅了されたので、リリース版とともに個人的な意見を綴っておく。

2. リリース版:強姦王子と眠り姫

 映画『パッセンジャー』は、公開時にアメリカで大きな論争を呼んだ。The Verge「最低のエンディング」と辛辣に評し、その訳を「ロマンチック化された虐待」「ロジックの無さ」としている。ひとつの見方としては、このSF映画には「オーロラに対し「人生の殺人」を犯したジムの罪の処理が楽天的すぎる倫理の問題」がある。個人的に、バッシングの一因には「前半と後半のトーン落差」があると感じた。前半は「主人公の罪」を重々しく描く。であれば、一観客としては「この映画は人間の弱さや罪を描いていくのだ」と考えるのだが、後半は大作らしい派手なアクションが押し寄せ、それらのスペクタクルの勢いとともに「主人公の罪」は軽く解決してしまう。特にオーロラ側の心理、決心の描写が少ない。倫理を問いかける人間ドラマであった前半、大作アクションの勢いで終る後半でなんだかバランスが悪い。パッセンジャー』の中盤には「精密な人間ドラマ」を引き続き描こうとした“痕跡”は見られる 。主人公2人はあの宇宙船に乗った時点で「人生に満足できないない者」同士だ。オーロラは地球での人生に満足したことは無かったようだ。その裏には、同業者である偉大な父の存在の重圧がある。そして、その父が突如亡くなったトラウマがある。大切な親友がいても120年の宇宙航海を選択した彼女は、ジムと恋に落ちて初めて満足いく幸福を感じる。この満足には「吊り橋効果」以外のわけもあったんだろう。ジムは、オーロラに初めて幸せを与えてくれた運命の王子様なのだ。このような“痕跡”を考えると「製作陣は人間の弱さと業と愛を描くドラマを描きたかったが/スタジオ大作なため多くの観客を集めるわかりやすく派手なシーンを挿入する必要性に駆られ/人間ドラマ描写を大きく削ることになってしまった」、そんな大作製作の難しさを想像してしまう。

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 アメリカでの非難の裏には、童話『眠り姫』につきまとう「強姦神話」性があると考える。『お姫様とジェンダー―アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』に詳しいが、現在『眠り姫』は強姦賛美的であるというジェンダー面からの批判もされている。「眠る女性に男性が性的行為をほどこすこと」はレイプを想像させ、これを美談とする物語は「強姦神話」のようである*1。『眠り姫』を題材にした2011年のディズニー映画『マレフィセント』は、この「強姦神話」性をうまくリメイクし、強姦美化要素を排除した*2パッセンジャー』も、この曰く付きの童話『眠り姫』をモチーフにしている。ヒロインの名前がオーロラな時点で明白だ。ジムが勝手に起こしたことが「人生の殺人」という表現も「強姦」性を連想させる。本作のジムは『眠り姫』の王子と異なり絶望的な境遇にあった。ゆえに、観客にとってのジムは、童話の王子とは異なる。ただし、オーロラ個人にとってはのジムは、幸福を与えてくれた王子様であり、それ同時に強姦加害者のような存在なのである。この悲劇的な運命に『パッセンジャー』の個性と挑戦があるのだが、この難しい主題の落とし所は簡単に済まされてしまう。本作には、今日では批判が多い『眠り姫』をあえて採用し「強姦神話」をテーマにした人間心理ドラマを構築するチャレンジが伺える。結果的には、前述した通り(心理描写に割く時間をカットされてしまったのか)「強姦神話」を主題にしながら、人によってはその「強姦神話」性をゆるやかに肯定するようにもうつる解決法に着地している。

  では、元々の案だったオリジナル版脚本はどうだろうか? 個人的に、『眠り姫』モチーフを旧約聖書の比喩へと繋げたことで「ジムの罪」に関しても印象が変わるつくりであると感じた。

3.オリジナル版:アダムとイヴとノアの方舟

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 『パッセンジャー』のオリジナル版は、圧倒的な不条理をもたらすことで「眠り姫」のモチーフを「旧約聖書」比喩に上手く変換している。「旧約聖書」に関しては最後に回し、まずオリジナル版の、リリース版よりも色濃く印象づけられる「大企業に人生を破壊される圧倒的な不条理」について話す。

 オリジナル版『パッセンジャー』では4,997人の乗客が一挙に死ぬ。その地獄絵図を見たオーロラはこうつぶやく。「ジムに起こされていなかったら、今わたしは彼らと一緒にあそこにいる」。これは事実である。「ジムに起こされて人生を殺された気持ちだったけど眠ったままでは死んでたから結果オーライ」、そう取ることもできる。だが個人的には、もう事態は「ジム個人の選択」の問題は超越してしまっている。そこにはただ「大企業の犠牲となった不条理」が存在する。これはリリース版でも同じだが、そもそもジムがオーロラを起こしてしまったのは、欠陥システムを作った大企業のせいだ。目覚めてしまったジムとオーロラはどうせ宇宙船の中で死ぬし、他の乗客も宇宙空間で死んだ。最初から最後まですべては適当な大企業のせいだ。ホームステッド社は、リスク防止をできていないのに5,000人もの人間の命を預かった最低の大企業だ。ジム個人の選択の罪が解消されたわけではないが、宇宙船の誤作動で4,997人の乗客が死ぬインパクトによって、映画前半で深く描写された「ジムの罪」は「そもそも大企業のせいであること」が(リリース版よりも)深く印象づけられる。リリース版よりオリジナル版の方が「大企業に人生を潰される人々」の不条理が色濃い。私は、このオリジナル版のプロットを時代的だと感じる。本作のホームステッド社は、膨大な数の人々の命を預かったのにあり得ないほど適当だ。だがしかし、現実の大企業郡も、適当なサブプライム・ローンで世界金融危機を起こしたのだ。「適当な大企業のせいで人生を破壊される沢山の人々」というモチーフは、2008年後の世界と親和性のある世界観だ。

 世界は不条理だ。自分ふくむ沢山の人が巨大企業によって人生を殺された。ただの人間である自分たちに、この事実、この世界は変えられない。ではーー生き残った我々はどうやって生きる? ここから、オリジナル版『パッセンジャー』はモチーフを「眠り姫」から「旧約聖書」へと変換する。「強姦王子と眠り姫」は、4,997人の乗客が全滅したことで宇宙船で本当に2人だけになる。ここで「強姦王子と眠り姫」は「アダムとイヴ」に立場を変える。「アダムとイヴ」は神がもたらした人間2人だけの楽園で「知恵の実」を食べて神に背く。この「知恵の実」は、宇宙船に残されたジムとオーロラが行った「人工受精」にあたるだろう。原則的に生命は神が創造するものであり、人間が人工的に命を創ってはいけない*3。「アダムとイヴ」は「人工授精」で神に背き「2人だけの楽園」から逸脱する。宇宙船は「2人だけの楽園」から数多の生命を乗せた「ノアの方舟」に姿を変える*4。そして「ノアの方舟」は、原典と同じように新惑星に到着する。美しいSFプロットだと思う。 私個人としてはリリース版『パッセンジャー』に倫理面では大きな問題を感じなかったし、変わった映画で好きな部類だが、このオリジナル版エンドも見てみたかった。

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参考資料

パッセンジャー (字幕版)
 
マレフィセント (字幕版)
 

Passengers Ending: How The Script Was Different From The Movie

Passengers Ending: Why It Had To End The Way It Did, According To The Director - CINEMABLEND

Passengers is the new Titanic, but way worse - The Verge

*1:お姫様とジェンダー―アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』より一部引用 「これは一方的なレイプの物語であって、「眠っている」、つまりは性というものがきちんとわかっていない娘を一方的に性の対象にしてきた男性たちの歴史が刻まれている」「ボーヴォワールによれば、ヒロインの「眠り」は女の受動性のシンボルである」 童話やその原典を読み込むと、魔女は16歳の娘に男に強姦されて死んでしまう「レイプの呪い」をかけたと分析ができるようだ。また「女性への外見至上主義」のあらわれに関する批判も存在する

*2:「眠り姫」を目覚めるためのキスは、妖精たちが王子に指名するかたちで提示される。セクシュアル・ハラスメント的な作戦を命じられた王子は動揺し拒否をする。結局、無理やりキスをさせられることとなるが、多少の面識しか無い王子の口づけは「真実の愛」とはカウントされず、オーロラは目覚めない

*3:この考えを今なお持つキリスト教派は存在し、人工授精や中絶に反対している

*4:旧約聖書ノアの方舟は、世界が水没するにあたってノアが作った船。この船には、生態系を存続させつため、沢山の動物が雄雌ペアで乗っている