『アメリカン・クライム・ストーリー/ヴェルサーチ暗殺』なにが彼を殺したか

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 開始早々、それは起きる。加害者は傷つき孤独な、金のなさそうな青年。一方、被害者は今なお最高のラグジュアリーを誇るブランドの創業デザイナーで、御殿というに相応しいバブリーな別荘で優雅に朝を迎える。要するに、殺人事件の被害者ジャンニ・ヴェルサーチと加害者アンドリュー・クナナンは対極に位置していた。貧乏な若者がスペシャルで裕福な年長者を射殺。『アメリカン・クライム・ストーリー/ヴェルサーチ暗殺』は、開始早々、残酷なほどに2人の格差を見せつけていた。ただし、アンドリューが暗殺に出る前に寄った公衆トイレで、その格差の均衡はすこしだけ揺らぐ。その汚い便所にはこんな落書きがあった。

“Filthy Faggots”

(汚ねえホモ野郎) 

 そこは1997年アメリカ。ジャンニとアンドリューは、厳しい差別に遭う男性同性愛者としての身分をともにしていた。

 『ACS:ヴェルサーチ暗殺』で重点的に描かれるものはホモフォビア(同性愛嫌悪)だ。これはある種自然な帰結とも言える。主人公はアンドリュー・クナナン、1990年代に最低でも5人を殺した男性ゲイ殺しの男性ゲイだった。今以上に同性愛差別が熾烈だった時代なのだから、否が応でもそれはマイノリティの人生に影響を及ぼすだろう。たとえば、アメリカで反響を呼んだ要素は、最初の被害者ジェフリー・トレイル編で描かれるアメリカ軍の“Don't Ask, Don't Tell”だ。これは1993年クリントン政権のもと施行された「セクシャリティを聞かず言わざる」原則を守れば同性愛者でも入軍できるとする政策を指す。2010年代から見ると差別的でしかないと思われるかもしれないが、この国家公認ルールは2010年まで続いた(オバマ政権下、規則撤廃に尽力した人物がレディー・ガガであり、彼女はVersaceアンバサダーでもある)。2人目の被害者デイヴィッド・マドソンのエピソードも一言では表せない。アンドリューに友人を殺された彼は、強要されるかたちでアンドリューその人と逃避行に出ることになる。全面的に被害者なわけだが、マドソンの頭を悩ませるものは真隣の恐怖だけではなかった。そして自分の命を脅かす殺人鬼相手に告白を始めるのである。

「わかったんだ 僕の人生はいつもこうだった

誰かにゲイだと知られてしまう そのたびに恐ろしいことが待ってるんだ

(故郷の)バロンは小さな町だ すぐに噂になる

“ねぇ聞いた? あそこの家の息子が容疑者だって なにかあると思ってた……ずっとね”

家の親はどうやって生きてく? あの町で 父さんの店で誰が買い物してくれる?

僕が本当に恐れていたことは殺されることなのか? それとも世間の目なのか?

蔑まれること それが怖くて逃げてるんだ」

  プロデューサー兼監督のライアン・マーフィーは「社会のホモフォビアがジャンニ殺害を助長した」と主張している。これには経緯がある。1997年、ジャンニ・ベルサーチが撃たれるまで、アンドリュー・クナナンはすでに最低4人は殺害しており、当時のFBI最重要指名手配リストに掲載されていた。南フロリダに住んでいる情報もあった。それにも関わらず、マイアミ警察はクナナン捜索ポスターの掲載を拒んだのである(結果、ジャンニはマイアミで殺された)。ここに、マーフィーの根拠とフォビア嫌疑がある。男性同性愛者が男性同性愛者を殺しつづける事件──恐怖に怯えるのもゲイ・コミュニティ──だからこそ、警察側は捜査に力を入れなかったのではないかと。ゲイが殺され続けても警察は気に留めないが、ジャンニは有名人だから動いたのだと。作中では、アンドリューの犯行を知りながら「彼はこの社会でゲイとして生きることがどんなことなのか知ってほしかったのだ」と語る者まで出てくる。 ただし、シリーズ自体が同様の主張をとっているかは疑わしいだろう。

 『ACS:ヴェルサーチ暗殺』がこだわり続ける演出がジャンニとアンドリューの対比である。この2人を主軸としながら、暗殺を起点とし過去に戻る構成をとっているため、エピソードが進めば進むほど被害者と加害者の過去が明かされていく。ゆえに最終回ひとつ前のエピソード8では幼少期に至る。ここでは、世界が誇るデザイナーと連続殺人鬼のセクシャリティ以外の共通点が示されている。たとえば、2人とも母親がイタリア系で、クリスチャン信仰が根づよい環境で育った。華やかなファッションを愛する「男らしくない」嗜好を持ち、きょうしで浮いていた。脚本家のトム・ロブ・スミスは語る。

ヴェルサーチ氏は、アンドリューが克服することのできなかったすべてを克服しました:ホモフォビアと相対的な貧困。ヴェルサーチを成功に導いたものが、アンドリューを破壊したのです

 引用元:'American Crime Story: Versace' Finale Explained | Hollywood Reporter

 2人をわかつものとはなんだったのだろうか? そのひとつは同エピソードでわかりやすく示されている。少なくともこの作品において、ジャンニの親はマイノリティの息子を肯定していた。反してアンドリューの父親は……観ればわかるが滅茶苦茶だった。劇中では父親による性的虐待も暗示されている(未確認報告書ソースだが、現実においてもカトリック虐待被害者ホットラインに相談したらしき記録が残されている)。このエピソード8のタイトルは「創造者/破壊者 "Creator/Destroyer"」。アンドリューにとって、創造者と破壊者は同一人物だった。

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 『ACS:ヴェルサーチ暗殺』後の世界はどうなったのか。ドラマシリーズ自体は数々のエミー賞獲得に至った。その一方、ヴェルサーチ・ファミリーは本作とその原作を批判するステートメントをリリースしている。実際、このドラマは事実を着想源としたフィクション然としている(それこそが本懐とも言える)ため、内容すべてを実際あったものと信じないほうが良いだろう。

 SSENSEにおいて、ドナテラ・ヴェルサーチは『ACS:ヴェルサーチ暗殺』シリーズへの告訴も考えたと明かしている。兄の死後、彼女はクリエイティブ・ディレクターとしてメゾンを継承した。ジャンニはドナテラの娘に会社の50%を遺したため、逃げ出すことはできなかったという。そうして、天才の兄を引き継ぐプレッシャーのもと、18年もの間ドラッグ依存に苦しむ人生を送ることとなった。他方、彼女の指揮とクリエイティビティにより、メゾンは存在感を絶やすことなくファッション・シーンに存続した(その価値を表すように、2018年マイケル・コースに約2,400億円で買収されている)。同インタビューの言葉を借りれば、兄による挑発的な女性像を妹が現実の女性により近づけ、メゾンのレガシーを進化させたのだ。この兄妹の方向性の差は『ACS』描写と共通するところだろう。

 才あるクリエイターとして、ドナテラ・ヴェルサーチジャンニ・ヴェルサーチを描写する。2017年には、ジャンニ20周忌──同時にドナテラ体制20年目──としてトリビュート・ショーが行われた。そこには『ACS』で言及されたナオミ・キャンベルの姿もあった。妹から兄に捧げられたこの祝福が万雷の拍手に終わったたことは言うまでもない。

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