何がジェーンに起ったか?★★★★★いい子になれたジェーン

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  『何がジェーンに起ったか?』において“起ったこと”は、尊大であったベイビー・ジェーンが“いい子になれたこと”である。序盤と終盤シーンの類似はその変化を表している。 又、姉妹間には嫉妬の他に互いの罪悪感が大きく介在している。その為、単純に「姉妹間の恐ろしい憎悪の物語」とは言えない悲劇だ。

【目次】

  1. いい子になれたリトル・ジェーンの成長譚
  2. ハドソン姉妹の嫉妬と罪悪感と好意
  3. 悲劇のなかの希望

1.いい子になれたリトル・ジェーンの成長譚 

  『何がジェーンに起ったか?』は『マッドマックス怒りのデス・ロード』と演出が1つ似ている。『マッドマックス怒りのデス・ロード』の主人公は、序盤、無理やり血を抜かれ、強制的“輸血”の虐待を受ける。その主人公が、終盤では自らフュリオサに“輸血”して命を救う。非人道的行為が当然となっている地で、人は自ら血をわけ与える人道的行いが出来る。人間賛歌が香る演出だ。『何がジェーンに起ったか?』における“輸血”は“アイスクリーム”である。序盤と終盤のアイスクリームにまつわるシーンは明らかに類似している。ベイビー・ジェーンに対し引き気味な周囲の人々まで同じだ。

 序盤、稼いだ大金で家計を背負い両親から“接待”を受けるスター子役のジェーンは、ファンの前で父親に「アイスクリームを買え」と“命令”する。「私が金を稼いでいる」と放つジェーンに父親は逆らえない。それどころか、彼は「私はいい」と気を使う長女に八つ当たりの怒声を送る。この時、ジェーンは姉の不幸などお構いなしだ。しかし、ラストで姉に真実を伝えられ「私たちは今までずっと仲良くできたということ?」と発言したジェーンは、姉にアイスクリームを買う*1。姉を喜ばせるためにストロベリー味を選ぶ。警察に尋問をされても「ダメよ、このアイスクリームはブランチのものなの」と言って譲らない。そこまでして姉にアイスクリームを渡そうとする。姉を喜ばせる為に。『何がジェーンに起ったか?』のタイトルの答えは、尊大だったベイビー・ジェーンが他人(姉)に施し(アイスクリーム)をあげられる子に変わった物語なのである。『マッドマックス』の主人公が血を分け与えたように、ジェーンは姉にアイスクリームを与えようとする。

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 ラストのジェーンは正気を失い、少女へと後退している。重体の姉を放置して子供たちとボール遊びをしているシーンからも幼児後退が伺える。あの時のジェーンはベイビー・ジェーンなのだ(--姉に真実を告げられ「私たちは今まで仲良く出来たということ?」と呟いたシークエンス以外ーー)。本作の原題は『What Ever Happened to Baby Jane?』である。直訳すると「何がベイビー・ジェーンに起ったか」。つまり、題名が指すものはジェーンではなくベイビー・ジェーンに“起ったこと”。その答えの1つは「周囲の気持ちお構い無しにアイスクリームを手に入れようとする、尊大だったベイビー・ジェーンは、他人を喜ばせる為にアイスクリームを渡そうとする”いい子”になれた」である。ベイビー・ジェーンが登場するのは、最初の過去シーンと、ジェーンが幼児後退したラスト、この2つのみ。この2シーンだけ見れば、『What Ever Happened to Baby Jane?』は、(家庭環境や労働環境によって)尊大となってしまった悲劇の少女ベイビー・ジェーンが姉にアイスクリームを与えられるようになれた「成長譚」だ。

 映画の全体像、ベイビー・ジェーンではなくジェーン本人の人生、そして姉妹の悲劇を見ると、「いい話」とは口が裂けても言えぬ物語である。次章では、リトル・ジェーンではなくジェーン・ハドソン、そしてブランチ・ハドソンについて考察する。

2.ハドソン姉妹の嫉妬と罪悪感と好意 

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 何がジェーンに起ったかは序盤15分で描かれている……ように見える。しかし、ラストの告白によって物語の構造は一気に変わる。時系列順に姉妹を追う。2人の幼少期、両親は家計を稼ぐ次女ばかりに気を使い長女を責めた。父親は気を使わせた長女を罵倒する。母親は夫と次女の見えぬところで長女を慰めると思いきや、「もっとお父さんとジェーンに優しくして」と追い討ちをかける。この両親の反応から、少女時代のブランチの親にすら気を使う姿勢は、両親が「気を使うよう求めた」部分が大きいと推測できる。一方、両親に叱られず、“接待”され続け、ある面で「家計を背負うプレッシャー」をかけられた次女は、ショウビズ界で尊大になった。

 姉妹が成人すると、今度は姉が大スターとなる。大根役者でアルコール中毒の妹は鳴かず飛ばず。姉が大スターの権限で「妹にも仕事を与えろ」と映画会社へ指示している。そして、パーティで妹が姉の嫌味なモノマネを披露した夜、姉は妹を殺そうとし、自らが下半身不随となる。その事実を知らされなかった妹は「姉を嫉妬で殺そうとした狂人」なる汚名を背負わされ、罪悪感からか美貌を失い、そのまま本当の「狂人」へなっていく。姉は、この自身の罪を「あの時の貴方は醜くなかった。私が貴方をそうした」と語る。原語台詞は「You Weren’t ugly then. I made you that way」。「自分が妹を醜い狂人にした」自覚を持っているのだ。これは事実だろう。ジェーンは元々アルコール中毒であったし、事故前から尊大であり続けたのだろうし、大スターとなった姉に嫌がらせも行っていたが、ルックスは美しく保っていた。ブランチが「狂人」の汚名と大きな罪悪感を被せなければ、幼少期に逃避する為の白塗り化粧もしなかったと思われる。その上、この告白が、ジェーンから完全に正気を失わせた最終打撃となってしまった風である。狂気の根源となった罪悪感から開放するとともに。

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 恐らくは罪悪感から狂人となっていったジェーンはある種わかりやすい。不思議なのは姉・ブランチである。彼女は序盤、家政婦に「妹を施設に入れろ」と助言され、「ベイビー・ジェーンの時の彼女はただ可愛いだけではなかったと目を輝かせながら語る。ブランチは両親に「ベイビー・ジェーンを崇めよ」と実質的命令をされ続け育ったわけだから、彼女もベイビー・ジェーンを崇拝している状態であると(初見時では)取れる。しかし、事故の真相を知ると、妹を狂人にした罪悪感からジェーンを庇い続けたようにも思える(復讐心と言ったらそれまでだが……憎悪一つであそこまで制限された生活を長年続けられるだろうか?)。妹を殺そうとし、妹の人生を社会的に殺してしまった罪悪感。ブランチは、ジェーンに攻撃され続けることで罪悪感を和らげていた面もあるかもしれない。自分が妹に攻撃されることで、妹の人生を破滅させた己の罪が許される感覚を覚える。だから家政婦に助言されても中々別居しようとしない。そうだとしたら正しく共依存*2。結局、妹を殺そうとして妹を狂人にした姉は、その罪を中々告白できず、狂人となった妹に殺されかける。逆に、妹に殺されかけたからこそ、姉は「妹を殺そうとしたこと」を告白できたのかもしれない。

3.悲劇のなかの希望

 私はこの複雑な関係、共依存を「憎悪」という言葉のみで語れる気がしない。姉妹間の共依存には、嫉妬だけでなく2人の罪悪感も大きく作用しているからだ。長らく尊大であり続け、わかりやすく嫉妬をたぎらせ、姉を罵倒し続け狂気に身を落とした妹の口から「今までずっと仲良くできたということ?」という正気の本音が出てくる辺り、2人の関係は嫉妬と嫌悪だけではない。姉にしても、やろうと思えば事故の前から妹と絶縁できたはずだ。妹と同じく、姉も姉妹で仲良くなりたかったのかもしれない。姉妹間に醜い嫉妬があろうと、そこには大きな罪悪感が介しており、底には好意がある。だから本作は悲劇なのである。悲劇の発端は、次女を接待し続け、長女にも接待を課した両親ではないか。両親の子供への接し方は、長女、次女どちらに対しても間違っている。姉妹が人生通して自然に好意を示し合えなかったことは、姉妹間に大きな格差を設定した両親の教育方法が大きいだろう。ただ、発端自体が両親であれど、ラストまで来てしまうとそのようなことも言えない。なにがしかの希望があるとすれば、姉は妹に赦されたということ。同時に妹も姉に赦されたこと。そして、ビーチの人々がどう思おうと、一定数の観客にとって--少なくとも私にとって、海辺で舞うジェーンはとても美しいということだ。

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*1: iTunes JAPAN版の字幕は「私たち無駄に憎みあっていたのね」だが、この台詞の原語は「Then You mean , All This Time We Could’ve been Friends ?

*2:本作は「SとMの究極」とも表されたようだが、確かにどちらがSでMかわからない。妹の人生をある種凋落へと操った姉はサディストでもあるが、「妹に攻撃される自分」の立ち位置をある種頑なに譲らない面ではマゾヒストである。Mに繋がるS、Sに繋がるMこそSMの究極か