『ハンガー・ゲーム FINAL: レボリューション』イラク戦争のメディア戦略

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 『ハンガー・ゲーム』はメディアの物語だ。メディアに纏わり付かれた主人公カットニス・エヴァディーンは「ヒーロー」ではなく「広告塔」、そして「戦争の被害者」である。イラク戦争を発端に開始された本シリーズは巧みに「戦争下のメディア戦略」を描き、「戦争」を糾弾している。 

1.ヒーローではなく広告塔のカットニス

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『偽装の夫婦』立派な結論、しかし功罪の功しか描かぬ構成不備

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 『偽装の夫婦』の結論は多様性肯定だ。性的関係が無くとも、互いが「家族になりたい」と思ったなら家族になって良い。この提唱は異性愛恋愛至上主義とは対極にあるだろう。しかしながら、この提唱は成立しきれていない。提唱自体を発する地盤となる作品自体のバランスが欠陥を来たしてしまっている。主人公2人は「選択」をしたわけだが、そこに付き纏う「功罪」の「功」部分しか描いていない。

【目次】
  1. 『偽装の夫婦』の結論:「そばにいたい」気持ちを肯定する家族観
  2. 『偽装の夫婦』2つのテーマ アイデンティティ恋愛模様
  3. 選択による功罪の功しか描かぬ最終回

1.『偽装の夫婦』の結論:「そばにいたい」気持ちを肯定する家族観

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何がジェーンに起ったか?★★★★★いい子になれたジェーン

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  『何がジェーンに起ったか?』において“起ったこと”は、尊大であったベイビー・ジェーンが“いい子になれたこと”である。序盤と終盤シーンの類似はその変化を表している。 又、姉妹間には嫉妬の他に互いの罪悪感が大きく介在している。その為、単純に「姉妹間の恐ろしい憎悪の物語」とは言えない悲劇だ。

【目次】

  1. いい子になれたリトル・ジェーンの成長譚
  2. ハドソン姉妹の嫉妬と罪悪感と好意
  3. 悲劇のなかの希望

1.いい子になれたリトル・ジェーンの成長譚 

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国家ある絶望『タクシードライバー』と国家なき夢『ナイトクローラー』:70年代ナショナリズムと10年代キャピタリズム

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 『ナイトクローラー』と『タクシードライバー』を比較することで1970年代と2010年代のアメリカ社会の違いを考察する。こちらのサイトにあるように、2作は多くの共通点を持つ。車に乗る夜の仕事、鏡、孤独な一人暮らし、ダイナー、年齢差ある年齢……。そして、殺人罪を犯した主人公が国家に罰せられず、社会に評価されてしまうラストまで類似している。2作とも製作当時、1970年代と2010年代のアメリカ社会を色濃く反映している。『ナイトクローラー』は現代版『タクシードライバー』を志したと思われる。であるから、この2つを比較すると、70年代と10年代アメリカ社会の違いが見えてくる。10年代は70年代より一層アメリカ合衆国という国家の存在感が薄れているし、ナショナリズムの時代はキャピタリズムの時代となったような印象をもたらす。

【目次】

1.『タクシードライバー』が投影する70年代ナショナリズム

2.『ナイトクローラー』が投影する10年代キャピタリズム

  2−1.ナショナリズムを排した『ナイトクローラー

  2−2.政府より金融が巨大となった『ナイトクローラー』時代

3.国家ある絶望『タクシードライバー』と国家なき夢『ナイトクローラー

1.『タクシードライバー』が投影する70年代ナショナリズム

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( 大統領候補の政治家をTVで見る『タクシードライバー』の主人公 )

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『ナイトクローラー』経済映画としての失敗、エンタメ寓話としての成功

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 『ナイトクローラー』は今日の資本主義システムを提示する映画だ。社会派、経済映画として作られた。監督側が最も表現したい物は主人公ルーではなく、ルーを産み出す今日の資本主義システムなのだ。だからカメラはルーを野生動物のように映す。まるで、野生の動物たちを映しながら「広大な生態系を持つサバンナ自体」を表現しようと志す動物ドキュメンタリー番組のように。しかしながら、個人的にだが、『ナイトクローラー』は経済映画としては失敗している。

【目次】

  1. ナイトクローラー』の経済映画宣言
  2. ダン・ギルロイ監督の解釈
  3. 経済映画としての失敗、エンタメ寓話としての成功 続きを読む

『わたしに会うまでの1600キロ』立派すぎた助手席の娘

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 ダメ人間讃歌ではない。「立派すぎた母と駄目な娘の物語」でもない。主人公の凋落は、「立派すぎた母と娘ゆえの悲劇」だ。自分の人生の運転席に座れなかった母親と同じく、主人公もまた「母の立派な娘」という助手席に乗り続けていた。1,600キロの横断は、彼女が人生の運転席に座る為の旅路である。

【目次】
  1. 母を最も心配していた娘
  2. 母に甘えられない娘
  3. 娘に甘えてしまった母
  4. 助手席から運転席への旅

1.母を最も心配していた娘 

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『デスノート』友人想いのLと立派な父親、ただ消え去るだけの凡人殺人鬼

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 ドラマ版『デスノート』は罪悪感から免れる為に新人格「キラ」を創り出してしまう物語である。物語が進むにつれ、月はどんどんキラを自身の人格に取り込んでしまう。最終的には完全にキラに呑み込まれ、月自身がキラとなる。この「キラ」化の通過儀礼となったのがLと父親である。この2人……特にLは、月と同じく、ドラマ化にあたり大きく設定改変されている。

【目次】

  1. 友情に厚い男・L
  2. 殺人鬼の通過儀礼となった「父殺し」
  3. ただ消えるだけの凡人殺人鬼

1.友情に厚い男・L

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