『フォックスキャッチャー』隣人を壊す完璧ヒーロー

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 殺人動機は「ヒーローがヒーローだったから」だ。完璧なアメリカン・ヒーローが男を狂わせる。もちろんヒーローは悪くない。彼は仕事も家庭も完璧な男で、正にアメリカが誇る「アメリカの英雄」。それ故に「ヒーローになりたくてなれなかった男」は狂ってゆく。

1.ヒーローの影で生きるマーク

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 兄デイブ・シュルツアメリカの英雄として扱われている。アスリート仲間や後輩にも慕われ、妻子との仲も良好。国家的英雄と賞賛されても奢らない。実利的に仕事/給料を考えているし、後輩指導も巧みであるし、友達付き合いも盛んなようだし、公私ともに「完璧なアメリカン・ヒーロー」なのである。

 弟マーク・シュルツは偉大な兄の影に生きている。彼はデイヴと共に兄弟でオリンピック金メダルを獲ったと言うのに、呼ばれる講演会は兄の代理で、給与支払いでも兄と名前を間違えられる。訓練ジムでも兄以外の話し相手は少ないようだ。帰宅した彼は一人で乾麺を貪る。金メダルまで獲ったのに、兄と違って英雄扱いされず、それどころか存在を忘れられている。友人も居ない。同じ金メダルを獲った兄弟なのに正反対である。マークにあるのはメダルと兄くらいだ。

 マークからしたらデイブを怨めれば楽なのだが、彼にとって兄は唯一の家族であり唯一の盟友だ。しかも、兄は“新しい家族”を得たというのにずっと自分を気遣い続けてくれる。嫌えるはずがない。そうしてマークは責任転嫁の先が無いまま鬱屈した日々を過ごす。責任転嫁という「現実逃避」の対象すら見つけられない彼は、毎日のように「兄は金メダルに相応しい立派な人格者/自分は金メダルを獲っても英雄たる人格者ではないから孤独」という事実に直面する。そんな鬱状態の彼がジョン・デュポンの洗脳に一瞬でかかったのは自然だろう。「兄を侮辱する責任転嫁」に逃げられず困窮した彼は、デュポンに「自分を超人と崇めてくれるナショナリズム風の洗脳」という逃げ場所を授けられたのだ。デュポンに「現実逃避の術」を授けられたマークは、デュポンと共に「虚構の夢」を追いかける事となる。 

  もちろん、デイヴは悪くない。弟が勝手に洗脳されただけであるし、実際デイヴは弟を止めた。その後、選手としても迷走するマークを叱り導いたのもデイヴだ。ただ、弟が鬱屈し洗脳された理由に、彼が人格者で「アメリカンヒーローだったこと」が存在する。

2.ヒーローになりたかったデュポン

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 デイブ・シュルツが「アメリカンヒーローだったこと」がキッカケで狂気を暴発させた男がもう一人居る。ジョン・デュポンだ。フォックスキャッチャーはデュポンの夢の体現である。彼がフォックスキャッチャーに込めた夢は「母に認めてもらうこと」/「選手達に父かつメンターと崇められるアメリカン・ヒーローになること」。まず1つ目の夢は砕かれる。母親は息子を認めぬまま他界した。そして、2つ目はデイブ・シュルツという存在によって粉々にされてしまう。彼はフォックスキャッチャーの選手達に「金銭は関係無い関係」を求め続けていた。その理由は親友のトラウマに起因する。だが、フォックスキャッチャーの選手達がデュポンの事を「面倒なパトロン」と認識している事はハッキリと描かれている*1。反対に彼等はデイヴをビジネス関係以上の存在としてリスペクトしたようだ。成功を収めたように見えたフォックスキャッチャーデイブ・シュルツに“乗っ取られた”。ただ一人自分に心酔してくれたマークは、これまたデイブに“洗脳”されて、もう居ない“”内の表現は、もちろん全てデュポン視点の思い込みである。

  会話をしにきたデュポンにデイブはこう言う。「今日は日曜日なので家族と過ごす日です*2。これは「私は賃金が発生する仕事中でしか貴方と関係を持たない」という宣言だ。金銭関係のみによる関係の公言は、信じていた親友が金で雇われていたトラウマを持つデュポンが最も恐れる言葉だろう。孤独に自分を崇めるドキュメンタリーを見るデュポンは、自分を褒めない……もしくは明らかに無理をして褒めるデイブを目撃する。そのままヒートアップし、拳銃を持って彼の家に向かう。この男は自分から全てを“盗った”のだ。他人を根拠に生きる生き方しか知らず、「他人のせいで自分はこのような不幸に陥っている」と憤慨し仮想敵の排除に向かう彼は、己の理想を全否定するデイヴに「殺される」とすら本気で思ったのかも知れない。“殺す前に殺せ”。そのような発想しか無いデュポンにとって、殺人はたった一つの冴えたやり方だったんだろう。

 もちろんデイブは悪くない。異常者デュポンが身勝手な理由で殺人を犯しただけである。でもデイブは殺された。デイブはもう居ない。「完璧なアメリカン・ヒーローだった」という理由によって。「何も悪くなかったから」という理由によって。  

3.アメリカン・ヒーロー不在のアメリカ合衆国

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 殺害動機は「被害者がアメリカン・ヒーローだったから」である。この場合のヒーロー造型はアメリカ合衆国が持つ思想に起因している。理想的な国家的英雄、理想的な国民的父親…。妻子を最優先し、弟を導き、ナルシズムに溺れる事無く、家計を現実的に考え、後輩の師となり、仕事では星条旗を背負い世界一となる“アメリカの理想の男”。その男を、他の地点で“アメリカを代表したような男”が殺害する。フォックスキャッチャー』は「アメリカ合衆国のヒーロー像」に悉く辛い顛末を与える。実はマークとデュポンも、スペックだけ見れば「アメリカン・ヒーロー」だからだ。でも二人は最初から英雄になれておらず、必死に「アメリカが設定するアメリカン・ヒーロー像」を渇望し狂ってゆく。ただ一人存在していた完璧なアメリカンヒーローは「アメリカンヒーローだから」という理由でアメリカ人に殺害された。アメリカンヒーローが、アメリカンヒーローになりたくてなれなかったアメリカ人に、アメリカンヒーローだからという理由で、殺される。アメリカで。

  結局、アメリカの表社会には弟のマーク・シュルツだけが残る。眩い光。マークが欲しかったはずの「USA!」の喝采。それが彼を喜ばせる物ではない事なんて自明だろう。ブラック・コメディという指摘にも納得してしまう程に“どうしようもない話”だ。なんだかカニエ・ウェストの曲を思い出してしまった。

Kanye West -Who Will Survive In America】

Us living as we do upside-down And the new word to have is revolution / People don't even want to hear the preacher spill or spiel Because God's whole card has been thoroughly piqued And America is now blood and tears instead of milk and honey /The youngsters who were programmed To continue fucking up woke up one night Digging Paul Revere and Nat Turner as the good guys

僕らは生きている こうして「まっさかさま」に

新しく持つべき言葉は「革命」

だれも聞きたくなんかない 牧師の言葉や能書きなんて

既に神の「手の内」は徹底して選び取られた

アメリカは今「ミルクと蜜」の代わりに「血と涙」で溢れてる

「負け犬」として仕向けられた若者たちは或る晩目を覚まし

ポール・リビア愛国者)とナット・タナー(奴隷)をヒーローとして崇めるようになる

America stripped for bed and we had not all yet closed our eyes / The signs of truth were tattooed across our often entered vagina / We learned to our amazement, the untold tale of scandal / Two long centuries buried in the musty vault Hosed down daily with a gagging perfume

アメリカはもう「ねんね」の時間 なのにまだ目を閉じれてない

真実のしるしは まっぴろげたヴァギナに刺青として刻まれる

「語られなかったスキャンダル」を驚嘆の念で僕らは知る

長かったこの2世紀は「カビっぽいひつぎ」に埋められて喉が詰まるほど香水でぶっかけられる

America was a bastard / The illegitimate daughter of the mother country Whose legs were then spread around the world And a rapist known as freedom, free-DOOM Democracy, liberty, and justice were revolutionary code names That preceded, the bubblin' bubblin' bubblin' bubblin' bubblin' In the mother country's crotch / What does Webster say about soul?

私生児のアメリカ それは契りの前に「できちゃった婚

その母国の両ふとももは世界中にひろげられ 「自由」という名の強姦者に犯される

「自由の破滅」

民主主義 自由権利 正義 これら全ての革命の合言葉

そのあとに来たのは ぶくぶく ぶくぶく ぶくぶくと 母国の股の間から溢れ出す泡

ウェブスター辞書は「ソウル」をどう定義する?

WHO WILL SURVIVE IN AMERICA? WHO WILL SURVIVE IN AMERICA? WHO WILL SURVIVE IN AMERICA? WHO WILL SURVIVE IN AMERICA?

アメリカで生き残るのは誰だ?

アメリカで生き残るのは誰だ?

アメリカで生き残るのは誰だ?

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引用文献

マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー(初回限定盤)

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*1:マークがデュポンに平手打ちをされる際のシーン。TVを見ている時にデュポンがやってきて選手達は面倒そうなリアクションをとっている。

*2:正確には"You know what, Coach? It’s Sunday. Family time."