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辰巳JUNKエリア

ニワカを極めるブログ

『この世に私の居場所なんてない』 世界からくだらないと扱われる私の大切なもの

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サンダンス映画祭審 査員対象受賞作 Netflix独占配信

 その日の主人公は嫌なことだらけだった。看護助手をしている治療施設で、患者の老婆が抗議運動をする黒人のニュースを見てこう言った。「あいつらがアメリカを蝕んでる、あいつらのデカいチンコは絶対に私のマンコには挿れさせないよ」。そして老婆は死んだ。遺族には最後になにか言っていたか訊かれた。主人公は何も答えなかった。仕事帰りにバーで読書していたら他の客にネタバレをされた。家に帰ったら庭に犬のフンがあった。「犬のフン禁止」と標識を出しているのに。そして家に入ったら泥棒が入っていた。警察を呼ぶも、盗られたものはPCと亡き祖母の銀食器だけ。警察が扱う事件としては小さな被害だった為、捜査が丹念に扱われる気配は無かった。刑事は主人公に対して戸締まりはちゃんとしていたか確認してきた。警察の職務としては当然かもしれないが、主人公には不満が残る。つらい想いをした主人公は友人に家に出向く。そして友人の幼い娘に絵本を読んでいる時、泥棒の話をしてしまい、女児の前で泣いてしまう。友人は優しかったが、こう諭してきた。「あなたより不幸な人は沢山いる」。確かにそれは事実だろう。事件を担当した刑事も同様のことを言ってきた。でも、主人公にとって、おばあちゃんの銀食器は大切なものだったのだ。

  映画『この世に私の居場所なんてない』はバイオレンス童話だ。日々の小さな不幸が積み重なった主人公は泥棒への怒りを膨張させる。そして警察に代わって自分で捜査に踏み込み、転がるように暴力の世界へ巻き込まれていく。グロテスクでちょっと笑える泥棒団との闘いが93分にまとまっている。主人公のバディとなる変人オタクを演じるイライジャ・ウッドが的確に「変な演技」で笑いを誘い、なんとも巧み。サンダンス映画祭の受賞も納得するコンパクトにおかしな映画である。アメリカの大作映画やオスカー受賞作ではあまり見られない気色だと思うので中々にお薦め。

 特に印象に残った部分は、記事初頭に記述した冒頭の組み立てだ。泥棒に奪われた、「世界からくだらないと扱われる主人公の大切なもの」、おばあちゃんの銀食器。友人からも刑事からも「泥棒に遭った貴方より不幸な人は沢山いる」と諭される。これらの擁護は、俯瞰的にはあながち間違ってはいないように思う。確かに、泥棒に入られて、PCと銀食器の被害で済んだなら幸いだ。暴力を振るわれたり、金銭や通帳を盗まれたらもっと大変なことになっていた。でも、おばあちゃんの銀食器は主人公にとってはとても大切なものだったのだ。主人公は独身で子供もいない。彼女の大事なおばあちゃんを覚えている人間は、この世界にもう彼女1人しかいない。そんな状況下での切実な想いを主人公はこう語っている。 「亡くなったおばあちゃんは炭素になった。私もそのうち炭素になる」

 序盤、主人公の周囲には子供の居る人達ばかりだ。優しく心配してくれる友人も、結構対応はしてくれる刑事も幼い子供と生活を送っている。泥棒に入られた主人公が駆け込んだ友人の家で、主人公は友人の娘の前で泣き出してしまう粗相を犯す。幼女は心配してくれたらしく、翌朝主人公をはげます絵をくれる。主人公が事件捜査について電話した時、担当刑事は幼き子供を風呂に入れている。電話越しに子供の声を訊いた主人公は刑事に頼ることを諦める。主人公は孤独死を想定しているような物言いをしているが、今のところ衣食住は担保している推定30代の独身。幼い子を持ち、家庭の責任を背負う友人や刑事よりは一般的に「背負うものが少ない」状況かもしれない。窃盗被害者の枠組みでも被害は少ない方で、幸運と言える。でも、おばあちゃんの銀食器は主人公にとってとても大切なものだったのだ。そういうものは人生にあると思うのだ。世間や周囲には中々理解されない。彼らに理解されにくいことは自分自身にもわかっている、だから声高に反論したりはしない。でも、とても大切なもの。自分自身を形成するもの。奪われたら自分自身の一部分が奪われたように感じるもの。

 私は、積み重なった小さな不幸で暴発し、暴力の世界へ足を踏み入れた主人公を「ひどくネガティブでおかしな人」とは思わない。人生には、社会的には大きな悲劇として扱われない「日常の中の小さな不幸」だってある。その「小さな不幸」が積み重なると世にも奇妙な行動に出てしまうことだってある。別にニュースにしてほしいわけではない。でも、この世の誰かにはそのつらさをわかってほしい。そして、人生には、世界から重要と扱われにくい「大切なもの」だって存在する。この映画はそれをあたたかく大切に描いている。中盤のネタバレをしてしまうと、主人公の大事なおばあちゃんの銀食器は物語の真ん中くらいで手元に戻る。しかし、この「大切なおばあちゃん」要素の出し方が全編にわたって絶妙で、観た後も主人公の想いが心に残る。『この世に私の居場所なんてない』は、いわゆる「社会にあまり深刻な扱いをされない衣食住ある独身」の問題を社会的、現実的に扱った社会的映画の類ではない。しかしながら、暴走する暴力をコメディータッチ、そしてファンタジーのように描いているからこそ「主人公の大切なもの」が印象に残る童話のような映画に仕上っている。

 

日本版Netflixでも配信中

www.netflix.com