デスノート(B)キラに殺されるキラ/ど根性ガエル(A)サザエさん時空vs.現実

 映画『クロニクル』に似た『デスノート』1〜2話、ピョン吉を否定する危険性を孕む挑戦に出た『ど根性ガエル』1話の感想です。

デスノート/キラに殺されるキラ

f:id:outception:20150713184741j:plain

 ドラマ版の夜神月は普通の大学生である。「やれば出来るのに」と認められながら、安定の為に公務員を目指す。癒やしは今流行りのアイドルで、普通に友人も居る。ここで『デスノート』を成立させる為に1つの障壁が生まれる。安定を望むような普通の大学生を、どのようにして連続殺人鬼のキラにするのか?その回答が「逃げ」そして「依存」である。この2つは、主人公の弱さに起因している。自信に満ちていた原作版の月とは正反対なのだ。

  ドラマ版の夜神月は偶然拾ったデスノートに自分を脅した不良の名前を記す。しかし、「人を殺せるノートなどあるはずがない」と思いながら、罪悪感に囚われてしまい、必死でノートに書いた名前を消す。それなのに不良は本当に死んでしまう。殺人を犯してしまった彼は吐き気を催す。そんな時、死者の知人による「あいつが死んでくれて良かった」という声を耳にする。ここで彼の中に「悪人を制裁するキラ」が生まれる。いわゆる現実逃避である。偶然人を殺してしまった罪悪感から逃れる文句が「悪人制裁」なのだ。「僕には出来ないけどキラなら出来る」という台詞は彼の弱さを象徴している。他にも「キラの邪魔はさせない」「キラなら世界を変えられる」「あれは俺じゃなくてキラがやったんだよ」と言ったりしていて、自分がキラだというのにまるで他人ごとだ。普通の大学生であった夜神月は、「偶然の殺人」による罪悪感から逃れる為に「キラ」というオルター・エゴを創りだし、覚悟ないまま連続殺人鬼となり、世間の反響に流されオルター・エゴへの依存を強め、Lの出現により逃げ場を失う。作中、最も「キラ」に依存し「キラ」に縋り付いているのは夜神月にほかならない。「キラ」関連で死を迎えようと、原作のように「キラ」として死ぬのではなく、「キラ」に殺される構図になるのではないか。彼が最初の殺人時点ですべきだったことは、刑事である父への相談である。それが出来なかったのは、多忙である父が妻(月の母)の今際の際でも仕事をしたことによって親子間に不和が生じた為だろう。映画『クロニクル』に似た悲しいドラマだ。

Grade:B

 映画『クロニクル』レビュー→クロニクル★★★★★まるで少年犯罪ルポ - 辰巳JUNKエリア

ど根性ガエルサザエさん時空vs.現実

f:id:outception:20150713184653j:plain

 「サザエさん時空」という言葉がある。季節は移り変わるのに年度は延々に変わらぬ長寿アニメ『サザエさん』から生まれた造語である。ドラマ『ど根性ガエル』は、二次元をそのまま実写化したような世界観を持ちながら、この「サザエさん時空」を否定する。主人公の母は「永遠なんて無い」と言う。サザエさん時空と違い、本作には永遠は存在しない。しかしながら、主人公ひろしは、まるで永遠に生きたつもりでいるようだ。30歳になっても中学時代と同じような装いで職にも就いていない。彼を根性で助けてきたピョン吉は「自分が彼を助けすぎたせいでひろしがあぁなったのかもしれない」と自戒する。そしてそのピョン吉に死が迫る。漫画『ど根性ガエル』においてピョン吉の存在は「サザエさん時空」、つまりは永遠に思えた。でもドラマ版は違うのだ。

 ドラマ版『ど根性ガエル』において「現実」を体現するのは、事業を成功させ市長選にも立候補しているゴリライモ、そして離婚を経験し帰郷した京子。この2人は中学時代と異なり、ひろしとピョン吉が創出する「サザエさん時空」な世界観、及び「ど根性で何でも可能という思想」に同調しない。一方は社長業、一方は結婚&離婚により、中学生の時とは違った価値観を持つ大人になったんだろう。根性ではどうにもならぬ悲しみや失敗も経験したんだろう。この2人の存在、そしてピョン吉の死の気配が、ひろしを現実世界へ誘導する。

 「根性でどうにもならないことがあるし永遠など無い」と諭されたひろしの結論は「現実では根性でなんとかならない問題もある/でも根性を出し続ける」という物だ。ドラマ版『ど根性ガエル』は、サザエさん時空に住む……又は住んだ気になっている……主人公を現実世界へ引き上げる挑戦に出ている。そのような「サザエさん時空」vs.「現実」という構図は、「ピョン吉」vs.「人間世界」なのかもしれない。本当の「サザエさん時空」の住人は、ひろしではなくピョン吉である。ピョン吉は姿も居場所も変わらない。カエルの平均寿命も遥かに超えてしまった。ひろしは現実世界の住人なのに、ピョン吉に合わせるようにして「サザエ時空の住人」然を続けている。ひろしにとっての「サザエ時空の終わり」とは「社会復帰」である。でも、ピョン吉にとっての「サザエさん時空の終わり」は「消滅」なのかもしれない。だとしたら、ひろしはどうする?

Grade:A