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劇場版ドラゴンボールZ 復活の「F」★★悟飯とフリーザが弱いわけ

  「戦闘狂」たちの物語となった新生『ドラゴンボール』で、戦闘狂・孫悟空が「弱点」を克服する話だ。『ドラゴンボール』は、2010年代に入って【善vs.悪のヒーローもの】の冠を捨て【戦闘狂バトルもの】にアップデートされた。その中で「ヒーロー」である孫悟飯が主戦力から“ドロップアウト”する事は自然であるし、「悪」のフリーザが悟空の“踏み台”にしかならない“時代遅れキャラ”に終わった事も当然と言える。

1.弱点を克服した「戦闘狂」孫悟空

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 脚本を考察する。悟空とベジータは「セブンス・センス」を目指す。本記事が勝手に用いた「セブンス・センス」とは、上記画像でウイスが示す「考える前に身体を動かす戦闘法」を指している。最強であるウイス&ビルスはこの「セブンス・センス」を習得している為、気が読めないし、圧倒的に強い。当然、悟空&ベジータはこの「セブンス・センス」を会得したい*1。しかし、悟空には弱点がある。

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 悟空の弱点とは「自信過剰ゆえの油断」である。ウイスが指摘した通り、悟空は“自信があり過ぎて油断している場面”で“すっかり気を抜いた脆い体”をレーザー銃に貫かれ敗北する。本作の筋はウイスの指摘が全て暗示しているのだ。よって、ウイスの台詞が映画の軸である。命題は悟空が「自信過剰ゆえの油断」という弱点を克服する事だろう。しかしながら、ややこしい事に、悟空の「油断」は長所・「リラックス状態」にも繋がっている。下記画像はウイスが(ベジータに対し)ベジータの弱点、悟空の長所を解説した場面だ。

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  「セブンス・センス」には悟空のような「リラックス状態」が必要なのである。だから元々ベジータより悟空の方が「セブンス・センス」習得に近い存在だ。……では、どうするのか?「リラックス状態」は良いが、その中に組み込まれている「自信過剰ゆえの余裕」は駄目。……と言うことは、「自信過剰ゆえの余裕」だけを取り除かなければいけない事になる。だから孫悟空は自信過剰ゆえの油断によってフリーザに破れ、フリーザは地球を破壊し、ウイスが時間を巻き戻してあげるのだ。このプロットは全て「悟空に弱点を克服される為の試練とサービス」である。地球が破壊された事によって、悟空は「自信過剰が欠点であること」を実感した。ウイスに時間を巻き戻してもらう“チート”に頼り、1対1の信念を破り不意打ちで攻撃する“チート”に出てフリーザを殺した。ここまで不本意に信念を穢す“痛い目”に遭ったのだから、悟空は「自信過剰ゆえの余裕」という弱点を撤廃できただろう。

 「自信過剰ゆえの余裕」を克服した悟空は、より「セブンス・センス」会得……そしてウイスとビルスが居る「神」の領域に近づいた事となる。相当「主人公へのサービス」に塗れた脚本であるし、色々「悟空が持っていた信念」を破壊したように映るが、一応、既存信念を穢しても“根本的な信念”は変わっていない事が明かされる。

2.戦闘狂の主戦場となった新生『ドラゴンボール

悟空  「ベジータ、ウイスさんが言ったように、最初から2人で組んでりゃ、こんなピンチにならなかった、たまには組んだほうがいいと思うか?」

ベジータ「ふんっ、それでもオレはゴメンだ」

悟空  「へっへっへ…よかったあ、オラもだ」

ベジータ「はじめて意見があったな」

 

ニヤリとしたベジータ、にひひひ、と笑う悟空。

―『DRAGON BALLドラゴンボール 鳥山明描きおろし脚本完全収録』p.81より

  悟空、そしてベジータも、あくまで「一対一の勝負」に拘っている。これが一貫した二人の美意識である。それは悟空が“チート”を働いても、ウイスに忠告されても変わらない。ある種、「地球<戦闘の美意識」という優先順位を付けてる事になるので悟空もベジータも恐ろしい戦闘狂である。だが、ウイス&ビルスが出現してから、『ドラゴンボール』は「地球を護るヒーローの話」から「善悪を超越した戦闘狂たちの話」になったのである。なので、悟空&ベジータ程の戦闘に魅入られた狂人でないと先陣に立つ事が出来ない。こう考えると、孫悟飯の“ドロップアウト”が自然だ。

2-5.「戦闘狂」ではなく「英雄」・孫悟飯

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 『ドラゴンボールZ 復活の「F」』の孫悟飯は弱い。それは『ドラゴンボール』自体が「善も悪も関係無い戦闘を愉しむ戦闘狂たちの物語」にシフト・チェンジした為だ。悟飯は「地球を護る為に闘うヒーロー」だった。闘う理由となる外部要因が無いと…つまりは傷つく誰かが居ないと…戦闘はしない。反面、悟空&ベジータは何の理由が無くても闘い続けている。前述したように、二人が能動的に闘いを望む戦闘狂だからである。破壊を純粋に愉しむビルスもウイスも同じ。この四人はただ愉しむ為に闘っている。悟飯やクリリンのように外部要因など必要としていない。ビルス&ウイスという最強が出現してから、『ドラゴンボール』は彼等のような「善も悪も関係無い戦闘を愉しむ戦闘狂たち」がメインとなったのである。この2人の最強に似た「戦闘狂」である悟空&ベジータ程の存在でないと、メイン・ステージに入る事すら出来ない。「思考を介さないセブンス・センス」は、そうした「善悪などの外部要因とは関係無く闘い続ける戦闘狂の特性」を間接的に意味してるのではないか。そう捉えると、「理由が無いと闘わないヒーロー」の孫悟飯が“主戦力”からドロップアウトした事は自然である。ついで、フリーザも又「戦闘狂」ではない為、まるで雑魚キャラのように“踏み台”として無惨に殺される。

3.「戦闘狂」になれぬ「悪人」・フリーザ

 悟空  「やっぱ、ただもんじゃねえなあ、根っからの悪人でなけりゃ、いいライバルになれたのによ、惜しいな〜」

-『DRAGON BALLドラゴンボール 鳥山明描きおろし脚本完全収録』p.62より

  悟空がフリーザに放った台詞であるが……今回のフリーザの立ち位置はこれが全てである。フリーザは「戦闘狂」ではなく「悪人」なのだ。よって、善も悪も関係無い、ただ戦闘を愉しむ「戦闘狂たち」のメイン・ステージに上がらせてもらえない。序盤、フリーザも戦闘狂であるかもしれない、と思わせるミスリードが在るのだが、結局は悪人でしかない事が判明する。

 生き返ったフリーザは復讐を決意する。それは彼の立場を考えると“非合理的”である。地球なんて無視して、宇宙で征服範囲を拡げた方が“利益”は得られるだろう。だがフリーザは復讐という“感情”で地球に舞い降りる。「財<復讐」という優先順位だ。ビジネスだけ考えると非効率的なので、フリーザも悟空と同じ戦闘に魅入られた戦士であると錯覚する。だがしかし、結局は姑息な“チート”を戦闘前から計画していた悪人であった。隠れている部下にレーザー銃を撃たせる、戦闘への美意識の無さ。フリーザは、傷ついたプライドをズルをしてまで晴らしたかった、エゴに塗れた只の悪人であった。

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 ブゥ編までならいざ知らず、「善も悪も関係無い戦闘を愉しむ戦闘狂たちの物語」となった新生『ドラゴンボール』の前では、「根っからの悪人」など強敵にすらならない。「善vs.悪」の物語でないんだから「悪」 が光り輝く事はもう無いだろう。「善も悪も関係無い戦闘を愉しむ戦闘狂たちのバトル漫画」にとって、ただの「悪」であるフリーザなど“時代遅れ”なキャラなのだ。「ワクワクするから闘う」だけの悟空は、エゴや善悪に捕らわれるフリーザよりずっと狂っている。

Grade:C

参考・引用資料 

*1:髪が水色である超サイヤ人ゴッド超サイヤ人のキャラデザインは(金髪時と比べ)冷静になった事を意味する設定も、一々頭で思考せず闘う「神」の領域を「最上の強さ」と設定し、悟空&ベジータがその高みを目指すであろう事が伺える