ウォーリアー★★★テアゲネスと白鯨とベートーヴェン
映画『ウォーリアー』の父と兄弟はそれぞれメタファーを背負っている。弟は英雄テアゲネス、父は『白鯨』、そして兄はベートーヴェン。この3つのメタファーから三者を考察する。
【目次】
- 弟テアゲネスが本当に欲しかったもの
- 白鯨と闘う父
- ベートーヴェンに祝福される兄
1.弟テアゲネスが本当に欲しかったもの
弟のトミー・コンロンはかつてタソス島の英雄テアゲネスを目指していた。紀元前5世紀に実在した格闘技選手のテアゲネスは1,300もの優勝冠を得たとされる。しかし、このテアゲネスは第75回オリンピックにおいて競技委員会に「スポーツマンシップに反する」として罰金を課され、翌年のオリンピック・ボクシング部門は不参加となった*1。スポーツマンシップを守り「ボーイスカウト」と尊敬される兄と比べ、リングから早々に退場するばかりか反則まで犯すトミーはテアゲネスと同様「スポーツマンシップに反する」と言えよう*2。テアゲネスに似ている彼は、ベートーヴェン『歓喜の歌』を背後に持つ兄・ブランドンよりもキャラ造形的に「大会勝利」の可能性が揺らぐ(ベートーヴェンについては後述)。
トミーは大会で勝利しない。しかし得たものは大きかっただろう。決勝戦で腕を折られても戦い続け、まるで自殺願望を香らせるファイトを展開した彼は、何故ラストで兄の言葉通り棄権をしたのか? それは兄の愛を知ることが出来たからではないか。当該シーンの兄の言葉を引用する。
I’m sorry, Tommy! I’m sorry!
Tap, Tommy! Tap!
I love you, Tommy! I love you!
トミーは「I love you」と言われ涙を流す。彼は兄に「愛している」と告げられて棄権を決行ーー最悪の場合、自殺をやめたのだ。「Sorry」と言われた時点ではタップしなかった為、謝罪よりも愛の表明が欲しかったとも取れる。
トミーについて考察する。彼は「兄は母と自分より恋人を取った」と考えた為、「兄に捨てられた」意識が強かった。久々の再開においてトミーがその旨を伝えると、ブランドンに「僕は彼女を愛していた」と返される。トミーは再度傷ついたのではないか。アルコール中毒の父に酷い扱いを受け、「自分より恋人を取った」と感じさせた兄からは愛の格差を付きつけられ、貧困のなかで為す術もなく母を失い、海軍で出会ったもう1人の兄も失ったトミーは、恐らく愛を求めていたのだろう。だから兄に「愛している」と言われ、彼は闘争を止める。彼はきっと彼個人が最も欲しかったものをあの闘いで得たのだ。
さて、作中、トミーに「I love you」と告げた者はもう1人居る。父パティである。つまりは、トミーは映画中で父と兄から愛を告げられたこととなる。「愛されなかった自認」という大きな傷を持つトミーが、(その悲劇的な自認を与えた存在である)父と兄の愛を感じることができたラストは感動的だ。
2.白鯨と闘う父
兄弟の父親パティ・コンロンは白鯨と戦っている。その様は断ったはずの飲酒に手を染めたシーンであらわになっている。では、彼が闘う白鯨とは何なのか。ハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』は、圧倒的存在である鯨モービィ・ディックに人々が敗北する物語である。モービィ・ディックに挑んだ船員は語り手除いて全員死亡する。映画『ウォーリアー』におけるモービィ・ディックは、パティが犯した「罪」であろう。彼が暴力を振るった妻は、貧困のなか医療費も払えず死んでいった。息子たちも大きな傷を抱え、パティを許さない。犯した罪(彼の行動によってもたらされた悲劇)を、彼自身が精算すること(又は罪悪感を払拭し完全に救われること)は、恐らく不可能だ。“幾ら努力しても消えない罪悪感”に苦しんでいる為、彼は“人類が到底及ばない強大な存在と闘って敗れゆく物語『白鯨』”に傾倒する。しかし、彼は言葉上ではブランドンに「許す」と言われた。そしてトミーに介抱された。トミーが本当にパティを見限っていたのなら、あそこであんな介抱はしないだろう。パティは囁く。「私はお前をいつも愛していた。知ってるだろう?私はいつもお前を愛していた。お前とお前の兄を。私の2人の息子……」。トミーはこれを否定しない。
パティの罪、又は彼が抱く罪悪感は解消したわけではない。だがしかし、私はあの美しいシーンを見て「父も息子も少しは傷が緩和した」と思わざるをえないのだ。パティはアルコール中毒治療においてキリスト教を信仰したと思われる*3。パティが受けたような断酒セラピーで頻用される『ニーバーの祈り』を掲載する。私は、兄弟を案じながら決して兄弟の中には入らないラストのパティを見、この祈りを思い出した。
神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ
3.ベートーヴェンに祝福される兄
試合の勝者ブランドン・コンロンのテーマソングはベートーヴェン『歓喜の歌』だ。この交響曲が印象的に使われる時点で兄の勝利を予感できる。シラーの詩を引用した本楽曲はブランドンの境遇に似ている。「ひとりの友の友となるという大きな成功を勝ち取った者 心優しき妻を得た者は彼の歓声に合わせよ」なる一節があるが、これは彼の境遇そのままだ。彼には心優しき妻が居るし、彼の勝利を本気で喜ぶ友人たちが居る。本曲はフランス革命等の革命運動で使われた経歴があるが、正しく革命的勝利を得たブランドンはベートーヴェンに祝福されるに相応しい。そして、歌詞を見るに、『歓喜の歌』は兄弟両とも祝福しているだろう*4。
兄弟よ、自らの道を進め 英雄のように喜ばしく勝利を目指せ
抱き合おう、諸人よ
Grade:B+
参考資料
http://www.pages.drexel.edu/~ina22/splaylib/Screenplay-Warrior.pdf
( インターネット資料はすべて2015年12月18日に回覧 )
*1:テアゲネスは75回オリンピックでボクシングとパンクラティオンの2競技に出場した。しかしボクシング部門で優勝した時点で疲労困憊してしまいパンクラティオンの試合を棄権。オリンピック初の不戦勝をもたらした。このことで競技委員会は「スポーツマンシップに反する」と怒り罰金を課した。翌年の76回オリンピックではテアゲネスはボクシングに出ずパンクラティオンに出場している。テアゲネスが参加したオリンピックはこの2回のみとされる
*2:アメリカで「ボーイスカウト」は「ルールを守る善良な男性」という意味合いで使われる
*3:序盤、トミーが訪ねたパティの家には聖書が置いてある
*4:シラー『自由』はフリーメイソンに捧げられているので、元々は歌詞の「兄弟」は信徒たち、「父」は神又は指導者を指していると思われるが