『ターミネーター: 新起動/ジェニシス』親殺しと子殺しの同居
まるで婿舅ドラマである。カイル・リースはT-800に「サラ・コナーの婿に相応しいか」審査されているような絵面。そんな家族的物語の印象を残す本作は、タイムトラベルによって多くの「親殺し」と「子殺し」を発生させている。非常に複雑な関係性に注目すると、ある1つの家族観が見えてくる。
1.親殺しと子殺しの乱立同居
カイルとサラとジョン。この3人の関係は、同じ時代にタイムスリップし争いを繰り広げた結果、ひどく複雑となった。血縁含む家族関係が重複しているのだ。以下、生物学的親/育て親を両方「親」とカウントする。「子」にしても同じ。
- カイル・リースの父親はジョン・コナー
- カイル・リースの息子はジョン・コナー
- カイル・リースの祖母はサラ・コナー
- カイル・リースの妻はサラ・コナー
- サラ・コナーの孫はカイル・リース
- サラ・コナーの夫はカイル・リース
- サラ・コナーの息子はジョン・コナー
- サラ・コナーの義父はジョン・コナー
作中、カイルとサラはジョンを殺そうとする。そうすると関係性はどうなるか。
- カイル・リースは父親であり息子であるジョン・コナーを殺そうとする
- サラ・コナーは義父であり息子であるジョン・コナーを殺そうとする
つまり、カイルとサラは、ジョンを殺そうとすることで「親殺し」と「子殺し」を両立させることとなる。もちろん2人を殺害しようとしたジョンの方も、「親殺し」と「子殺し」を同時に企てている*1。
親が子を殺そうとし、子が親を殺そうとする……一見すると恐ろしいストーリーだが、初対面となる生物学上の親子パターンも多い。であるから、サラなんてすぐジョン殺害の決心を固められる。ここに本作の家族観が宿っている。ポイントとなるのが「おじさん」と呼ばれるT-800だ。
2.育ての親主義
ジョンが敵であると発覚した、病院の駐車場シーンを思い出してほしい。あの時、ジョンを撃ちカイルの首を絞めたT-800に「別人になった(プログラムが書き換えられた)」疑惑が生じた。敵に回ってしまったのなら、サラはT-800を殺さなければ(倒さなければ)ならない。でもサラは大きく動揺してしまう。反して、息子のジョンが敵であったと知っても、カイルと違って大きな葛藤なく「殺す決意」を固めてしまう。
カイルはどうだろう?彼は味方とわかってもT-800を信じない。それどころかサラと2人きりになった時に殺害を持ちかける*2。一方で、彼は育ての父であったジョンが「別人になった」と教えられても「殺す決意」が固められず、戸惑い傷つく。
T-800はターミネーターであり、サラへの対応も「プログラミング」に起因している。よって、T-800がサラに愛情を抱いているのは”理論的に”ありえない。しかしながらサラはT-800を慕っている。彼女にとってT-800は長年を共に過ごした保護者……育ての親なのだろう。そうカウントすると、関係性はこのようになる。
- カイル・リースは義父であるT-800殺害を殺せるが、育ての親であるジョン・コナーを殺せない
- サラ・コナーは生物学上の息子であるジョン・コナーを殺せるが、育ての親であるT-800を殺せない
カイルとサラに共通しているのは「多くの時を一緒に過ごした育ての親の殺害には躊躇すること」である。それは生物学的親子関係より優先される。つまり、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』は、血縁よりも育ての親を絶対的に重視する価値観を持っている。入り乱れた関係性も、「多くの時を一緒に過ごした育ての親こそ親である/親子に血縁は関係無い」とすれば、簡潔になるのだ。
本作で繰り返される台詞に、T-800の「理論的に」という言葉がある。しかしながら、映画自体は生物学的親子という理論よりも、遥かに登場人物たちの感情を優先している。現代的価値観からすると当然だが、「血が繋がっているから初対面でも深い情を感じさせてしまう」といった姿勢はとらない。
最終的に、カイルの父であるジョンは、サラの父であるT-800と共に消滅する。その時サラはT-800を止めようとするが、カイルが彼女を抑える。T-800は「お前がサラを守れ」とカイルに告げる。この時、カイルは「父と義父よりも妻を優先させる夫」という構図になっている。だからこそ彼は俯く彼女に「まだ僕がいる」と囁けたのかもしれない。結局T-800は世界から失われていなかったが。基地にサラの写真を飾っていた彼が、サラに対し愛情という感情を抱いているかは闇の中である。
参考資料