経済ホラーとしての『イット・フォローズ』白人の悪夢と黒人の廃墟

 正体不明の “それ” に追いかけられるホラー映画『イット・フォローズ』のメインキャストは白人の子どもたちだ。それどこらか、作中おびただしく出現する “それ” すら白人ばかり。何故か。この映画の舞台がデトロイトだからだ。時代設定が意図的にあやふやにされた作品ではあるが、ひとつ、現実の街とつながるセリフが出てくる。決戦の地であるプールに向かうさなかに。

昔 親から8マイル通りを越えるのを禁じられてた

当時は理解できなかったけど あそこは郊外と都市の境界線だったのね 

 このシークエンスでは、廃墟となった家がおどろおどろしく映される。

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 これはおそらく、デトロイト市内に実在する黒人貧困街の廃墟だ*1。セリフに登場する8マイル・ロードとは「人種と富の境界線」とされる。下図はデトロイトにおける人種マップだ。青が黒人、赤が白人の移住者を指す。平行に赤と青を断絶している「境界線」が8マイル・ロード。

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( Wikipedia - Demographic history of Detroit )

2000年時点のデータになるが、デトロイト市は81.55%が黒人であり、その世帯収入のメジアンは3万4千ドル。一方、8 Mile Roadを挟んだ北側のオークランドカウンティは、82.75%が白人であり、平均世帯収入のメジアンは7万6千ドルである。道を隔てるだけで収入が倍以上になる

引用元:デトロイト・デット・シティ - 漂流する身体。

 デトロイト育ちのデヴィッド・ロバート・ミッシェル監督は、郊外の描写について、このようにコメントしている。

「シティと郊外の分離をほのめかしたかったんです。若いときはひどくアンフェアで奇妙だと感じていました……それが人種や富なんかのセパレーションとされていることが……」

引用元:‘It Follows,’ An STD Panic Nightmare, is the Best American Horror Movie in Years

 ここでいうシティとは黒人が多く住む貧しいエリア、郊外は白人(つまり映画のメインキャラクターたち)が多く住む比較的豊かなエリアとされる。2つをセパレートする「境界線」こそ8マイル・ロードというわけだ。監督のコメントを読む限り、白人ばかりのキャスティングは意図的だろう。劇中、郊外に住む白人の子どもたちは “それ” に追われて大変なことになっていたが、親たちが越えることを固く禁じた「境界線」の先は、まるで “それ” に呑まれきったかのように廃墟化していたのだ。『イット・フォローズ』は、黒人のメインキャラクターを出さないことで、現実の人種間格差を描いたのではなかろうか。デトロイトは2013年に財政破綻したわけだが、当時の取材記事を読むと、経済危機への反応すら「境界」が生じている片鱗が伺える。

財政破綻したこの街で住人たちと話していると、必ず出てくるのが、この「8マイル」という言葉だ。たとえば、かつて薬物中毒だった黒人男性タリーさん(67)。「市が破産したって騒いでいるのは、8マイルより向こうの人たちだよ」

(中略)

8マイル・ロードから7マイル側に折れると、廃虚が並ぶ住宅地だ。落書きをされた朽ちた家々に、夏草が生い茂る。ぶらぶら歩いていると、住人たちがいぶかしげな視線をぶつけてくる。 タリーさんは言う。「この辺は50年前から変わらないよ」。荒廃は昔から。突然悲劇が襲ってきたわけではない、という。「ドラッグと同じ。ここでやってても、誰も問題になんかしない。でも、8マイルの外に広がると騒ぐ。そういうもんだよ」。そう説明してクスクスと笑った。 

引用元:デトロイト 8マイルの向こう側 | 中日旅行ナビ ぶらっ人

 公開当時、性病の隠喩として捉えられがちだった “それ” は、白人ティーンを襲う止めどない経済崩壊とも受け止められそうだ。デトロイト育ちのマーク・ビネルによる『イット・フォローズ』郊外危機の考察がslateに掲載されている。かつて、デトロイト郊外の中流白人たちは、工場に務めながらプールつきの一戸建てに住むことができた。しかし、財政が破綻し、不動産価値までも暴落した2010年代、白人の子どもたちが親世代より豊かになれる可能性は……。 

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最悪の苦痛は傷そのものではない

最悪の苦痛はあと1時間 あと10分 あと30秒で そして今この瞬間に 魂が肉体を離れ人でなくなると知ること

この世の最悪は それが避けがたいと知ることだ

 『イット・フォローズ』は、主人公たちに迫りくる “それ” が消えていない可能性をほのめかして終わる。あのあとも彼女たちは「あと少しで魂が肉体を離れる感覚」から逃れられないかもしれない(一度後退した経済状況がなかなか回復しないように)。果てしない不安のなか、子どもたちはどうやって前に進めばよいのか。その答えのひとつは、助け合える隣人と手をとり、ゆっくりでも、とにかく歩きつづけることなのかもしれない。親世代より豊かになれないことを十分に知ってしまっているティーンエイジャーに贈られたエールのような映画だ。

われらの子ども:米国における機会格差の拡大

われらの子ども:米国における機会格差の拡大

 

白人のこどもたちは親世代より豊かになることができない──アメリカにおける機会格差拡大を暴いたパットナムの著がベストセラーとなったのは、奇しくも『イット・フォローズ』公開とおなじ2015年