『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』70s英雄譚と英雄の距離

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 1970年代初頭のアメリカといえばフェミニズム旋風である。ウーマンリブ運動の加熱。71年にヘレン・レディが『I Am Woman』をリリース。72年に雇用機会均等法が大幅に改正され、グロリア・スタイネムが雑誌『Ms.』を刊行。そして73年に「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」が推定9,000万の視聴者を集めた。本作の主人公ビリー・ジーン・キングが男性選手との試合に至った要因には全米テニス協会の賃金格差があった。当時、男性選手の優勝賞金は女性の8倍だった。無論、チケット売上の男女差は8倍ではない。男女同権を志向するビリーは女子テニス協会の前進となる女子ツアーを始めた。スポーツ界のみならず実社会にも根付く格差にアクションを起こしたビリーは、まさに70年代の英雄なのである。

【以下ネタバレ】

  そんな70年代英雄譚の映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』だが、メディアの存在が目立つ作品でもある。ハイライトの試合シーンはTV放送そのままのような演出だ。番組の男性司会者たちは平気で女性差別的な発言を飛ばしている。解説として出演した女性選手の肩にのばされた男性司会者の手、その気味悪さは裏面のハイライトかのようにおぞましい印象を残す。「大規模スポーツ番組でそのような言動が許され行われていた」、そのこと自体に「当時の社会」の姿を感じさせるのである。

 対戦相手ボビー・リッグスはメディアを利用したパフォーマーでもあった。彼は試合を「セクシストの豚vsフェミニスト」構図に仕立て、性差別主義キャラを一貫することで注目を集めたのである。その一方でビリーは彼の演技を見抜き、全米テニス協会のプロモーターを「本当の敵」とする*1。メディアが2選手のわかりやすい対立構図を煽るなか、当の“英雄”は別の人間を大敵としていた。「英雄譚と英雄の距離」が非常に印象的な映画である。

 ラストのハイライトも「英雄譚と英雄の距離」に於かれている。勝利の祝祭のなか、ビリー・ジーンは無人の「クローゼット」で涙する*2。「クローゼット」という言葉はセクシャリティを公表していない状態の暗喩でもある。試合中継は当時のアメリカのセクシズムを反映し、またフェミニズムのムーブメントも映している。ビリーは女性アスリートならびに女性の社会的地位に影響を与えるヒーローとなった。しかし、この輝かしい70年代の英雄譚に、ビリーのセクシャリティの出番は無かった。「英雄譚と英雄の距離」を描く『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』は、マスメディアを効果的に映すことによって「当時メディアが取り零した英雄の姿」をすくい上げている。

 ビリー・ジーン・キングは、1981年に広報の反対を押し切り女性との性的関係を認めている*3。そのきっかけは、バトル・オブ・ザ・セクシーズから7年間交際したマリリン・バーネットの告訴である。

*1:この姿勢はファリス&デイトン監督も意識している。 「ただ、ビリー・ジーンと試合をするボビー・リッグスは、男性至上主義を過剰に煽って、ショーにしていた。金銭が目的だったんだ。むしろ全米テニス協会の代表者であるジャック・クレイマーというキャラクターこそ男性至上主義で、彼の居心地の悪さが、男性観客に同じ感情を与えるのだろう」 「女 vs 男!」世界が熱狂した世紀の試合が映画化|『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』監督が語る「多様性」 | クーリエ・ジャポン

*2:正確にはLocker Roomだが

*3:'It Was Horrible': Billie Jean King Recalls Being Outed in 1981