『ナイトクローラー』経済映画としての失敗、エンタメ寓話としての成功

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 『ナイトクローラー』は今日の資本主義システムを提示する映画だ。社会派、経済映画として作られた。監督側が最も表現したい物は主人公ルーではなく、ルーを産み出す今日の資本主義システムなのだ。だからカメラはルーを野生動物のように映す。まるで、野生の動物たちを映しながら「広大な生態系を持つサバンナ自体」を表現しようと志す動物ドキュメンタリー番組のように。しかしながら、個人的にだが、『ナイトクローラー』は経済映画としては失敗している。

【目次】

  1. ナイトクローラー』の経済映画宣言
  2. ダン・ギルロイ監督の解釈
  3. 経済映画としての失敗、エンタメ寓話としての成功

1.『ナイトクローラー』の経済映画宣言

 『ナイトクローラー』は今日の資本主義を批判する映画だ。序盤シーンで流れるカー・ラジオは、経済アナリストの怪しい解説を流す。アナリストは不動産投機か何かの話を展開し、結論を言わぬまま「儲ける方法はこの本で」と切り上げ、自身の著書を宣伝する。経済アナリストと不動産と言えばサブプライム・ローンである。アメリカの投資銀行は2000年代前半、非常に複雑構造のサブプライム・ローンを発売しアメリカに不動産バブルを巻き起こしたが、結局自分たちが作ったローンを把握しきれなくなり、2007年にバブルを崩壊させ世界金融危機のトリガーを引いた。多くの人が借金を負い、住む家を失った。『ナイトクローラー』は、映画の始まりで「世界金融危機後も人々から金を奪うハゲタカ経済人たち」を登場させる。「今日の資本主義にまつわる映画ですよ」なる宣言とも取れるように。これは勘違いでもないようで、ダン・ギルロイ監督自身が「本作はハイパー資本主義を描いた作品」と語っている。

2.ダン・ギルロイ監督の解釈

 資本主義を崇拝する主人公ルー・ブルームが、アメリカン・ドリームを成就させる現代アメリカのサクセス・ストーリー。問題は、ルーのような人間に報酬と地位を与えてしまう今日のハイパー資本主義だ。

 これがダン・ギルロイ監督の『ナイトクローラー』解説である。主人公ではなく、主人公が生きる今日の資本主義社会こそ悪。だから主人公ルーもニナも作品を通して何も変化しない。ニナはルーに誘導されたようにも見えるが、監督によると彼女は長らく「過激な報道」を行ってきた為、ただルーと同調しただけで、彼女の内面は何も変化していないという。

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( 夜中のサバンナで発見されるコヨーテのように映されるジェイク・ジレンホール )

 監督の作品解説を更にまとめる。『ナイトクローラー』は主人公でなく主人公の生きる資本主義を批判したからこそ、ジェイク・ジレンホールを「野生動物のように」映している*1。ルーは兎を殺すライオンと同じように、ただ本能に従って金を稼いだだけなのである。ルーは最初から最後まで何も変わらない。ただ本能に従って生きていただけだ。問題があるならば、そんなルーに褒美を与えてしまう今日の資本主義構造だ。『ナイトクローラー』はその、今日の資本主義システムを提示する。インタビューを読むと、監督は主人公に対しむしろ同情的である*2。しかしながら、『ナイトクローラー』を今日の資本主義を写す鏡として製作した監督側の試みは失敗したように映る。

3.経済映画としての失敗、エンタメ寓話としての成功

 ダン・ギルロイ監督は「ただ問題自体を提議し観客に考えるキッカケにしてほしかった」と発言している。だからこそ、主人公をただ本能のまま生きる野生動物として映すドキュメンタリー・タッチを採用している。だが、この俯瞰的視線は主演ジェイク・ジレンホールのアドリブで崩れてしまっている。そのアドリブ・シーンとは、激情に駆られた主人公が鏡を割る場面。音楽演出含め、映画自体か主人公に“寄り添いすぎ”だ。わざわざ「この主人公は狂"人"です」と説明してくれている。ジレンホールは「あのアドリブが映画の振り子になった」と自信を持っているが、私の印象は真逆である。彼のアドリブは「主人公を本能のまま生きる野生動物として映すドキュメンタリー手法」を破壊している。あのシーンだけ主人公を「動物」として映していない。音楽演出によって「狂気を増幅させる狂人」として描写している。Orr氏が指摘するように、あそこで観客が主人公を「同じ人間」として共感してしまう作りとなっている。又は、「狂人が暴れるエンターテイメント性の強い映画」を観る観客の姿勢が整ってしまう、“説明的すぎる”出来だ。あのシーンによって、「今日の資本主義構造を提示するメタ的社会派作品」の道は閉ざされた。

 監督自身が言うように、本作には「今日の資本主義」に対するメッセージは無い。では社会派経済映画としてどう評価すれば良いのか? 「今日の資本主義」を間接的に描いた映画は数多に存在するだろう。ただ描いただけでは希少性は低い。最たるレアリティだった、野生動物を映すような「今日の資本主義システムをただ提示するメタ的社会派作品」としてはあの鏡を割るシーンで破綻している。『ナイトクローラー』は非常に楽しい映画だが、それは「エンターテイメント性の高い寓話」としてだ。社会派映画とエンターテイメント映画の境界など規定できないし、この2ジャンルに上下は無い。ただ、『ナイトクローラー』は、監督側が誇るような「社会派経済映画」として成立できていない。

 まとめよう。『ナイトクローラー』は、監督やプロデューサー兼主演男優が誇るような、時代を象徴する社会派作品にはなっていない。エンターテイメント寓話だろう。しかし、エンターテイメント寓話としては楽しめる快作だ。ジェイク・ジレンホールとレネ・ルッソが「身内を殺害して得たゴシップ」に感銘し、見つめ合うシーン。今年見た映画で最もロマンチックだ。 

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参考資料 

 

ダン・ギルロイ、ジェイク・ジレンホールの発言は全て日本版公式パンフレットから引用 

ナイトクローラー』日本版公式パンフレット

Empire's Nightcrawler Movie Review

Nightcrawler Movie Review & Film Summary (2014) | Roger Ebert

Nightcrawler: The Taxi Driver Homage | Mr C Media

狂った面白さに映画ファンは虜! 『ナイトクローラー』監督インタビュー「終わりないバイオレンスを撮りにいく」 | ガジェット通信

「現代社会のアンチヒーローを描きたかった」『ナイトクローラー』監督が語るJ・ギレンホールとLA|Real Sound|リアルサウンド 映画部

映画『ナイトクローラー』ダン・ギルロイ(監督・脚本) オフィシャルインタビュー シネマトリXビューン

ナイトクローラー/助手に助手席から言い負かされて、悲しい。: 傷んだ物体/Damaged Goods

*1:監督はLAという舞台も「人間の手に余る大自然」と捉えている

*2:ダン・ギルロイ監督は日本版パンフレットのインタビューにおいて、資本主義しか信奉できない主人公に同情を表明している