『ラブライブ!The School Idol Movie』マイルドヤンキー的「今の私たち賛美」

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 『ラブライブ!』 は一貫して「仲間主義」である。第1期では、ことりは個人の夢を追いかける為に地域の仲間を切り捨て留学しない。第2期では、μ'sは「今の9人」が最高であるから、先輩を送り出して新入生を迎え入れない。ただμ'sは「今の私たち」を賛美する。『僕らは今のなかで』という第1期OPタイトルは象徴的だ。

 アニメシリーズの続編である劇場版・『ラブライブ!The School Idol Movie』でもその思想に変化は無い。映画の大筋は以下である。

  1. μ'sを「今の9人」で終わらせる事(解散)を決断
  2. ラブライブ拡張の為にNYライブを頼まれ、ラブライブの為に承諾
  3. NYライブ成功により日本でμ'sがセレブ化
  4. スクールアイドル産業の為に存続を求められるμ's
  5. 「自分達の決断」「スクールアイドル産業への貢献」間で揺れるμ's
  6. 沢山のスクールアイドルが戦わず一緒にLIVEをしスクールアイドルの魅力を世に発信するイベントを企画、施工
  7. 学園入学式で(?)新入生にLIVEを披露しμ's解散

 2期最終回の決断は結局変えられない。μ'sは「今の9人が最高だから」解散するのだ。NYCと秋葉原でのLIVEはスクールアイドル産業に恩返しをしたに過ぎないし、ラストLIVEにしても学園への貢献が強いと思われる。頑なに「高校の9人の仲間」を貫くμ'sは、卒業後も活動を続けメジャーデビューに挑むA-RISEとは対極に位置している。

 異質なのはNYシンガーである。彼女は恐らく、未来の穂乃果(又は高校卒業後もμ’sの活動を続けたパラレルワールドでの穂乃果)だ。明らかに重要キャラなのに、彼女との出会いにより穂乃果が何を感じ、何を思い、どのように結論を得たのかは明瞭に描かれない。ただNYシンガーに背中を押され「前に進む勇気」を貰っただけにうつる。「グループ存続について悩んでいる現在の主人公」と「グループと離別し一人で歌うことを選択した未来の主人公」を邂逅させたのなら、主人公がそこから何を得たのかが重点的に描かれる、それが一般的な作劇である。でも『ラブライブ!』はそうしない。高校生である「今の私たち」を賛美し、それを貫く故に三年生の卒業をリミットに解散。「未来の私たち」は選択しない。反して「未来の私たち」を否定した「私の道」も明瞭に示さない。

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 『ラブライブ!The School Idol Movie』から伺えるテーマは、「高校時代にしか出来ぬスクールアイドル賛美」、つまりは「いまの私たち賛美」である。プロのアイドルとして芸能界で成長する『アイドルマスター』、プロを目指し学園で切磋琢磨する『うたのっ☆プリンスさまっ♪』とは決定的に異なる。μ’sの中には、商売も競争も無い。その代わり「(受動的な、絶対に変えられない)期限」がある。「一人で歌う未来の主人公」を出しておいて、映画は「未来を思わせる主人公の決断」を描こうとしない。とにかくμ’sが卒業したらシャットダウンだ。「今」と「今に続いている過去」しか描かないのだ。『ラブライブ!』は、とにかく「今まで当然と思っていたレールを壊すようなリスクを背負って人生を賭ける個人的挑戦」を描かない。実は、『ラブライブ!』という作品は、一般的社会のルールに準ずる、受動的で保守的な思想が宿っているのかもしれない*1

 この「仲間との今」しか描かない徹底的姿勢に、前記事でテーマにしたマイルドヤンキーを思い出したのである。上京よりも「地元仲間との今」を求め、「仲間との今が永遠に続けばいいのに」と願う。社会に反抗的なルックスを持っておいて、実態は非常に保守的。地元から出てリスクの高い夢を追いかけたりしないラブライブ!』が象徴する現代若者社会は、この「社会的リスクを負うチャレンジは行わず地域と仲間との今に価値を置くマイルドヤンキー的保守主義」ではないだろうか。本作がヤンキー的ルックのファンを多く抱える(と言われる)事にも納得がいく。物語性が欠如していると批判され易い事も。ラブライブ』には、物語はあるが、一般的に物語性とカウントされやすい「今まで当然と思っていたレールを壊すようなリスクを背負って人生を賭ける個人的挑戦」があまり無いのだ。前記事で、マイルドヤンキーが保守的で内向的な地域主義&仲間主義を持つ要因は「日本経済の困窮&若年層の貧困」である、と述べたが、このような思想を待つ『ラブライブ』の若者間での大ヒットも、そのような経済状況の影響下にあると感じる。

Grade:C 

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参考資料

 

*1:グループ結成の契機となった学園復興にしても生徒会との対決構図にしても「高校内の世界」に限られている。それに、生徒会との対峙は「仲間」が集まる為の道筋でもある。